モスマンの恩返し?(エピローグ)

 住民の通報を受け、我々教団聖騎士がその寒村に駆けつけたのは、ちょうど初春の頃であった。

 発端は、市場に出回っていたある盗品の出処の調査だった。
 さる貴族が婚姻のために何人もの職人を雇い入れ作らせたという指輪、『暁天の宝輪』。
 正しき持ち主の手に渡る前に何者かによって盗み出されたこの宝物が、市場にて高値で取引されているとの通報が入った。
 世に出る前に姿を眩まし紆余曲折、数々の逸話と共に世界の影を人から人へ渡り歩いた、知る人ぞ知る幻の一品。
 取引を行っていた商人は高価であれどそのようないわくつきの品だとは知らずに売買を行っていたらしく、度重なる取り調べの結果、教団影響下のとある寒村が指輪の出処であることが分かった。

 同時期、件の寒村から一件の通報が入った。
 村はずれの廃屋に足を踏み入れた子供が、そこで魔物の痕跡を発見したという。

 この地域の魔物は全て殲滅したはず。教団は指輪盗難の件とこの魔物騒動に何かしらの関連性があると考え、聖騎士5名を派遣した。

 件の廃屋は村のはずれにあった。
 鎧戸という鎧戸が締め切られ、なるほど、魔物が隠れ忍ぶには絶好の場所といえる。

 我々5人は陣形を組むと、正面に構えた男が玄関を蹴り開ける。
 入口での待ち伏せが無いことを確認するやいなや、陣形を崩さずに素早く中へ踏み入れる。

 その光景は、まさに異様であった。

 家の中、梁という梁に張り巡らされた薄緑色の糸。
 壁という壁には糸が団子になったようなものがへばり付いている。

 奥の扉を開ければ、そこは元は寝室だったと思しき部屋。
 天井から二組の長い糸の束が垂れている。

 その時、鼻孔を何かの異臭がくすぐった。
「いかん! 全員、防毒マスクを付けろ!」
 教団の装備は優秀だ。頑丈な兜の上からでも、即座に防毒マスクが展開される。
 ……体に異変は無い。一瞬果実のような甘い香りがしたが、問題はないようだ。

 聖騎士の一人が、薄緑の糸に触れる。
「これは……モスマンの天蚕糸のようだな」
 モスマン――。禍々しい文様の浮かんだ白い翅が特徴の蛾に似た魔物。優れた感覚器官で人間の居場所を探り当て、闇夜に紛れて積極的に襲い掛かる危険な魔物。力は決して強い方ではないが、真に恐ろしいのはその鱗粉。モスマンの鱗粉には強力な幻惑作用を持ち、一度吸い込めば人の正気を容易く奪う。多少の吸引ならば影響は一時的なものに留まり、夢見心地になれることから、一種の薬物として闇市場で取引されることもある。しかし、高濃度のものを繰り返し吸引すれば精神を完全に破壊されてしまう。モスマンの鱗粉に脳を侵された人間の隔離施設は完全に外界と遮断され、その凄惨たる光景に職員の辞職が後を絶たず、常に人手不足な状態だと聞く。

「となると、この塊は繭か?」
 既に中身は抜け出ているようだが、相当の数がある。これほどの数のモスマンが人目を忍んで、ここで繁殖、成長をしていたというのか――?
「まだ少し湿っているようだな」

 ……まだ少し、湿っている?
 私たちは顔を見合わせた。
 この部屋の中にある繭の残骸だけでも20近い。
 もしかしたら、これ以上の繭がこの廃屋にはあるかもしれない。
 そして、それらが全てつい数日以内に羽化したものだとしたら?
 成虫となったモスマン達が、まだこの近くに、この廃屋の中に潜んでいたとしたら――?

 私たちは猛然と、我先にと廃屋から飛び出した。
 馬術に長けた二人が教団支部に応援を呼びに走り、残った三人は周辺住民への説明と避難の誘導を行う。

 後日、正式に調査隊が組まれ、周辺の山林を対象に大規模な山狩りが行われた。
 が、モスマンどころか魔物の痕跡一つ見つけることはできず、調査は数日で打ち切られた。

 果たして、あの廃屋で羽化した数十匹のモスマン達はいったいどこへ行ってしまったのか?
 
 住民の希望もあり、『モスマン屋敷』はすぐに解体されることになった。
 しかし、家中に張り巡らされた強靭な繊維が邪魔をし普通の解体を行うことはできず、また火を放つには山に近すぎるという理由で、未だ取壊しの目途はついていないという。
 住民は、いつの日かモスマン達が巣に戻ってくるのではないかと、毎夜戦々恐々としているそうだ。

 本来の目的であった『暁天の宝輪』についても、調査打ち切りとの通達が出た。
 宝輪を拾ったという男の足取りがぱったりと途切れていたというのもあったが、最大の理由は回収された宝輪を航路にて運送中、運搬船ごと宝輪の消息が途切れたためだ。
 運搬船が港を出た記録は確かにあるし、航路上でそれらしき船を見かけたという目撃証言もある。
 しかし、どいういう訳か運搬船は乗客乗員、そして積荷の一切合切ごと、忽然と消えてしまったのだ。
 船に同上
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