あの遭遇の翌日、俺はポケットに入れた指輪のことを思い出した。
正直、山で拾ったものを身近に置いておくことが怖かった。
だから、すぐに村の商店に売りに行った。
店主は怪訝そうな目つきで指輪を確認し、俺にこの指輪をどうやって手に入れたのかと聞いてきた。
俺は正直に、山で拾ったと答えた。
店主は訝しむ様な目で俺を見た後、
「この指輪は相当な価値がある。買い取りたいところだが、店の持ち合わせでは足りない」
と言って突き返してきた。
俺は店主に泣きついた。
「これが売れないと、冬が越せないんです!」
事実だった。まだ山には食べられる木の実がなっているだろうが、あの芋虫赤子のことを考えると、とても踏み入る勇気はなかった。
俺の必死さが伝わったのか、店主は分割でもいいならと、手形を持ってきてくれた。
適切な鑑定もできないため、買値は相当落ちるとのことだったが、提示された金額は俺にとっては目が飛び出すような大金だった。
俺は、二つ返事で了承した。
契約の内容は、毎月一回来年の夏までかけて、店主が俺に買い取り金を分割で支払うというものだった。
月一の受取金も、一人で暮らすならば十分な金額だった。
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かくして、俺は冬を超えた。
商店から入った金を使って、干し肉を大量に購入し、今まで同様部屋から出ずにだらだらと過ごした。
冬が終わり、春になった。
まだ少し肌寒さが残るが、だいぶん暖かくなってきた。
だが、商店から金を受け取る以外の用事で外に出ることのない俺にとっては、関係のない話だった。
ある晩、いつもの通り夕飯の干し肉を齧っていると、
「トントン」
と誰かが家の裏口を叩いた。
――――――裏口を、叩いた?
そのことに気が付いた瞬間、一瞬で体中の筋肉が強張る。
あの日の恐怖が、奴の恐怖が俺の中に蘇る。
虚の中の暗がり、そこから俺の顔を観察する異形の赤子。
俺に手を伸ばし、にたりと笑いかけて発した「あぁ〜」という耳に残る声。
「トン、トン」
また、裏口が叩かれる。
「ど、どなたですか……?」
声を振り絞って訪ねてみた。
「……」
返事はない。
「表の……玄関に、玄関に回ってください……」
我ながら間抜けなことを言ったものだが、裏口に誰かがいる、ということが怖かった。
しばらく間をおいて、
「トン、トン」
と玄関が叩かれる。
もう、開けるしかない。
少なくとも、玄関に回ってくれという要望は聞いてくれた。
例の怪物という線はだいぶ薄れている。
「お待たせしました……」
俺は、ゆっくりと扉を開けた。
だれも、いない。
おかしいと思った俺は、周囲を確認しようとさらに扉を開けた。そして次の瞬間――。
「わっ!!」
上から、女の上半身が逆さまに降ってきた。
「うわぁーーーーーー!?」
俺は尻餅をついて驚いた。
女は屋根に登っていたらしい。
逆さまのまま、口に手を当て、クスクスと笑っている。
「そんなに驚かれるなんて、ちょっとした冗談のつもりでしたのに」
逆さま女が屋根の上からふわりと飛び降りた。
体を覆うふわふわの体毛。
頭から生えた、二本の揺れる触覚。
そして、まるでマントのようにふんわりと広がる四枚の翅……。
「ま、魔物!?」
俺は混乱のあまり上手く起き上がることができず、地面でもがいていた。
「ええ、いかにもその通り、魔物でございます」
魔物が、真っ白でふわふわした手をこちらに差出し、起き上がるのを手伝ってくれる。
そして、改めて淑やかに頭を下げる。
「裏手の山より参りました、モスマンでございます。今朝方羽化いたしまして、先秋の御恩を返しに参りました」
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「御恩?」
俺には何のことだかさっぱり分からなかった。
裏手の山、先秋の御恩と言ったが、山には例の芋虫赤子に遭遇して以来、恐ろしくて近づいてもいないし、そもそも俺に魔物の知り合いなどいない。
「人違いでは……?」
モスマンは大きくかぶりを振った。それに合わせて、長い触覚もふるふる震える。
「そんなはずはごさいません! あなた様のお顔、忘れた日などございません! あの日、虚の中で震えていた幼い私に、優しく微笑んでくれたではごさいませんか!」
「虚の中で……!?」
恐ろしい心当たりが、胸の中で自己主張を始める。
モスマンは余程俺に思い出して欲しいのか、必至な様子で話を続ける。
「はい! わたくし、あの時ご慈悲を頂きました、芋虫にございます!」
――頭がクラクラしてきた。
俺の記憶にある芋虫赤子は、なんというか、もっと邪悪でグロテスクな存在だった。
だが目の前にいるモスマン
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