「ん……」
瞼を開くと、自室ではなかった。
木目調の天井。剥き出しの蛍光灯。幼馴染の、たく坊のアパートだ。
昨夜の記憶がない。視線を下げると、パジャマがはだけている。
(ああ、またか)
ブランケットをマントのように肩にかけ、その裾を引きずりながら、アリスの小さな体でてちてちと台所に向かう。
台所では、もうすっかり昼間の装いのたく坊が朝ごはんを作っていた。
ジュウジュウというフライパンで油の撥ねる音のせいか、それとも鼻歌の演奏に集中しているせいか、私の登場に気が付かない。
そんな幼馴染の腰のあたりに、背後から抱き着く。
「あ、姉さん。起こしちゃった?」
私とたく坊は2歳差で、私の方が年上だ。もうお互い大学生なのに、未だに昔の呼び方が抜けていない。
「朝ごはんなに〜」
私はたく坊の背中に顔を埋め、くぐもるような声で聞いた。
「サニーサイドエッグです」
つまり目玉焼きか。
私は台所の隅から踏み台を引きずってきて、たく坊の隣に置く。たく坊の危ないよ、という忠告を聞き流し、フライパンの中を覗いた。
黄身が二つ、合格。
ベーコンもある、合格。
私がちょっかいをかけられない、不合格。
私が何か要求をするより先に完璧な目玉焼きを作るとは許せない。何か、からかってやれるような物はないか。私はたく坊の目玉焼きトークに生返事を返し、1Kアパートの居室に戻った。
とりあえず、ゴミ箱を漁ってみる。むむむ、これは!
「コンドームあった!」
もちろん使用済みだ。口が結んであって、内容物が漏れないようになっている。随分たっぷり入っているようだ。昼間は飄々としているくせに、むっつりめ。
台所から「ちょっとやめてよ!?」と慌てた声が返ってくる。が、そう言われて素直に止める私ではない。更にゴミ箱を掘り進めれば、二個目、三個目、四、五、六……。
「ちょっと! やりすぎでしょ!」
私は自分の小さな肩を抱き、けだものを見る様な目で幼馴染を睨んだ。
「こーんな幼児体型相手に、変態なんじゃないの?」
「いいから、ご飯出来たよ。手、洗ってきて」
双子の目玉焼きは片方が固焼きでもう片方は半熟だった。私の好みを熟知している。やはり、生意気だ。
「夏休み中にさ。不思議の国、行ってみない?」
食事中に、たく坊が口を開いた。
「またその話ー? そんなお金ないって。それに、一回こっきりじゃ意味が……」
耳にタコが出来るほど聞いた話だ。適当にあしらおうとした時、たく坊が胸ポケットから何かを取り出す。四隅にトランプのスートが描かれたそれは……不思議の国の、年間フリーパス。私は驚きで箸を落としそうになった。
「叔父さんがさ、トランプ交通の株主なんだ。株主優待で貰ったんだけど、いらないからくれるって」
差し出されたそれを手に取る。一年間有効。ご利用は一度に二名まで……。
「そんな高級なところじゃないけど、宿泊施設も利用できるって。どうかな?」
私はぶんぶんと首を縦に振る。
「よかった!」
たく坊は、心底嬉しそうな笑顔を浮かべた。
嬉しいのは私の方だ。アリスは忘れる魔物。たく坊とは赤ん坊の頃からの付き合いで、気が付いたらこんな関係になっていた。でも、初めて肌を重ねた日のことも、どれだけ深く愛し合ったかも、私は忘れてしまっている。
「不思議の国なら、忘れないでいられるのかな……」
心の声が無意識に口に出てしまい、私は慌てて口をつぐんだ。幸い、たく坊は聞いていなかったようだ。何か考え事をしているようで、じっと虚空を見つめている。
「もし姉さんが忘れなくなったら、少しは恥じらいってものも身につくのかな?」
「んなっ!?」
考え事の結果が、それか。
「何言いだすの! あたしはいつでも恥じらう乙女でしょ!?」
「えー? でもさっきだってゴミ箱からコンドーム漁って喜んでたじゃん。デリカシーは無いよね」
私の抗議に、生意気にも切り返してくる。ぐぅ。だがデリカシーが無いのはお互い様だ。
こうして、くだらない言い合いをしながら私たちの日々は過ぎていく。不思議の国に行ったくらいじゃ、この関係は変わらないだろうな。一生続くかも。ま、これが心地いいから、それでいいけどね。
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