霧の大陸の沿岸部、貿易で栄えるとある都市。繁華街から離れた、寂れた住宅街の一角に、小さな料理店があった。
明け方、まだ夜霧の残滓が残る頃。店の前を掃除しようと、一人の少年が箒片手に店から出てくる。
「ん? なんだありゃ?」
薄暗さに霧が重なり良く見えないが、店の前に麻袋のようなものが落ちている。
だが、近づいてみれば、なんとそれは人であった。
「ええ!? ちょ、ちょっと! 大丈夫かアンタ!?」
少年が慌てて肩をゆすると、倒れた人物がゆっくりと顔を起こす。女性だ。まだ少女といっていい、幼さの残る顔立ち。結って短く揃えた赤髪と、そこから覗く真ん丸の耳が、彼女が魔物であることを証明していた。
「お、お腹が……」
「腹が!? どうした、痛いのか!?」
その時、地鳴りのような低い音が大気を震わせた。
「お腹が減って……力が出ない……」
少女は、そのまま気を失った。
轟音のような彼女の腹の虫だけが、静かな路地で反響し続けていた。
☆
「いやー、ありがとうございます! 言葉通り、生き返りました!!」
「いいんだよ、遠慮しないで! どんどんお食べ!」
「ではお言葉に甘えて! この御恩は忘れません!」
赤髪の少女は、食堂のテーブルに並べられた大皿の料理を、次々と流し込むように平らげていく。その傍らで、質素な服装の優しそうな老婆が、にこにことほほ笑んでいる。
「まったく、店の前で倒れてた時はどうしたのかと思ったよ」
厨房から、先ほどの少年が新しい料理を手に現れた。
「もう大丈夫かい?」
「はい、おかげさまで! そしてそれは麻婆豆腐ですね! 大好物です! いただきます!」
赤髪の少女は少年の手から皿を奪い取る様に受け取ると、それを酒盃でも煽るかのように飲み干していく。
「それにしても、よく食べるなぁ」
少年が、目を丸くして言い洩らす。
ぴたり、と少女の食べ物を掻き込む手が止まった。顔を赤くして、恥ずかしそうに頭を掻いた。
「す、すみません。どうもよくお腹の減る質でして……」
老婆が、少年の肩をひっぱたいた。
「リュウ! アンタ、女の子になんてこと言うんだい!」
「ご、ごめん。でも、それだけ美味そうに食べてくれると、こっちも作り甲斐があるってもんだよ」
赤髪の少女が目を丸くして、リュウと呼ばれた少年の顔を見た。
「えっ! この料理、あなたが作っているんですか!? その若さで、素晴らしい腕です! こんなにおいしい料理は食べたことがない! お父様やお母様は、さぞ鼻が高いでしょう!」
すっ、とリュウの顔に影が差す。
「いや、父さんも母さんもいないよ。二人とも、俺が幼い頃に交通事故で死んじまった。今は俺が店長で、婆さんと二人でこの店を切り盛りしてるんだ」
「え、あ、そ、そうだったんですか……。知らなかったとはいえ、無神経なことを聞いてしまい、すみません」
赤髪の少女は、自らの失言に言い淀む。少女の食べる手が止まったことで、食堂に気まずい沈黙が訪れる。
「ところでお嬢ちゃん、名前はなんていうんだい?」
沈黙を破ったのは老婆の一言だった。
少女は、まさに天の助けとばかりに、問いに答える。
「はい! 申し遅れました、私は大竹寺より参りました、火鼠のリンと申します!」
少女が掌と拳を合わせて礼をすると、その手首からボウッと小さな炎があがった。
「「大竹寺!!」」
リュウと老婆が、声を合わせて身を乗り出す。
「ていうことは、まさかレンシュンマオ老師の知り合いかい!? あの、有名な棍使いの!」
「実は近々、老師がうちに来てくれることになってるんだ! あんた、何か聞いてないか!?」
突然人が変わったようにがっついてくる二人に驚きながら、リンが少し引き気味に言葉を返す。
「は、はい。ということは、やはりこちらの食堂が『火龍軒』で宜しかったですよね? 実は師匠はこちらに向かう直前にぎっくり腰になってしまいまして、私はそのことをお伝えするために伺ったんです」
その答えを聞くや否や、リュウと老婆は顔を真っ青にして椅子の上に崩れ落ちた。
「そ、そんな……」
「終わりだよ、何もかも……」
まさに絶望を絵にかいたような様子の二人に戸惑いつつも、リンは言葉を続ける。
「えーと……。師匠から、可能な限りお二人のお手伝いをするようにと言い含められています! 何をするかまでは聞いていませんが、言って頂ければ何でもしますよ! その、料理はできませんが……皿洗いとか、お給士とか!」
出来る限り明るい言葉で言ったつもりだったが、二人は俯いたまま顔を上げようともしない。その異様な様子に、リンも何か尋常ではない事態であることだけは理解した。
「あ、あのー。いったい何が……」
その時、勢いよく店のドアが開いた。
「おうおうおう! 昼間っからしみった
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