「じゃ、準備はいいですか?」
そう言って、サラはエミール少年のウィッグの位置を整える。
天幕の隙間から物理法則を無視して外へ伸びていた少年の影が、するすると彼の元に戻ってきて、そこからミーファが顔を出した。
「今なら、だれにも見られずに外に出られますわ。雲が出てきて、月も隠れてます」
サラ、ミーファ、エミール少年の三人は、目を合わせてこくりと頷いた。
三人は、荷物を出し入れする後方の搬送口ではなく、御者台のある馬車前方へと移動した。サラが顔だけ外に出して、周囲を確認する。問題なかったらしく、長い尻尾を器用に動かして、少年の腕を引く。
エミール少年としては、御者台などにまわって馬が暴れたりしないか心配だったが、夜は馬を別のところに繋いでいるらしく、顔を出した先に馬の姿は無かった。
サラに手を引かれ、御者台から湿った土の上に、静かに飛び降りる。
荷馬車を挟んだ背後からは、ワイワイと賑やかな人の気配がする。
「どうします? 火でも着ければ逃げやすくなると思いますが」
「いや、サラ、やめようよ……」「流石に良心の呵責というのもがありますわ……」
「んじゃ、このままズラかりますか」
二人(と影に潜んだ一人)は速やかに、連なる荷馬車の群れの中を、身を屈め隠れながら、小走りで移動を始めた。
商隊は今夜の宿泊地として、草原を走る街道のすぐ側を選んだらしい。街道の続く先には、こんもりとした森が見える。恐らく、森の中で夜を迎えるのを避けたのだろう。
「とりあえず、あの森に逃げ込みましょう。流石に夜の森を散策するほど、連中も飢えては無いでしょうからね」
サラが小声で指示を出した。
周囲には何人かの見張りを見つけることも出来たが、彼らが警戒しているのは外部から襲いくる野党や獣、魔物の類であり、脱走者がいるなどとは発想もしていないようだった。
こういったことに場慣れしたサラの先導もあり、一行は見張りの死角を突いて馬車群の中をすいすいと進んでいった。そして、もう少しで森側に出ると思った時である。
ガウガウガウッ!
と、猛烈な吠え声と共に、馬車の下から複数の犬の頭が現れた。じゃらじゃらと鎖の鳴る音もする。
突然足元から現れた犬達に、エミール少年は驚いて尻餅をつきそうになるが、サラがそれを瞬時に受けとめ、その勢いのまま少年の腕を引いて、森に向けて走り始めた。
「なんだ!? どうした!?」
馬車を挟んですぐ反対側から、若い男の声がする。
サラが走りながら、張り詰めた声で口走る。
「番犬がいたんだ! 気が付かなかった!」
背後が騒がしくなる。振り返れば、ランタンらしきいくつも光の点が動き回っている。
「ボス、振り返らないで! 姉御も、大人しくしててください! 大丈夫です、狼除けの番犬は、逃げる獲物を追うようには訓練されてませんから!」
だがしかし、サラがそう言った矢先、背後から獣が草を蹴る音が近づいてきた。そしてそれは、背後だけでなく左右からも近づいてくる。
『ちょっと! 追いかけてきてますわよ!』
ミーファが、影の中から二人に語り掛ける。
「なっ!? 吠え声も上げずに!? こいつら、ちょっとおかしいです! 普通の商隊じゃあない!」
もう少しで森に届くというところで、目の前に二匹の犬が飛び出してきた。
鋭く吠えて、エミール少年とサラの足を止める。
背後と左右から追いかけてきていた犬たちも合流し、五匹の犬が、唸りながら二人の周りをぐるぐると回り始めた。サラが、エミール少年を庇うように自分の背後に回す。
ランタンの明かりの群れが、近づいてくる。
商隊のリーダーである大男が一歩進み出て、いやらしい猫撫で声で語り掛けてきた。
「お嬢ちゃんたち、そりゃないだろう? ただ乗りは立派な犯罪なんだぜ?」
言っていることは一応真っ当ではあるが、男とその取り巻きが醸し出す異様な雰囲気は、既に堅気のそれではなかった。
「なにも、法外な運賃を頂こうって訳じゃねえ。妹ちゃんは聞いてないのかもしれないが、ちゃんとお姉ちゃんが俺たちと交渉して決めた対価なんだぜ?」
少年たちを取り囲む男達が、下卑た笑い声を上げた。その輪の中から、煽り立てる様な声が上がった。
「ま、どうしても嫌ってんなら、他にも請求方法はあるがな! もっとも、それだと宛先不明のお釣りが出ちまうが!」
笑い声が、一段と大きくなる。大男も、くっくっくと噛み締めるように笑いを上げた。
「やっぱりあんたら、人攫いか! ったく、ホントにタダってのが一番タチ悪ぃな!」
サラが吐き捨てるように言う。
大男が、薄ら笑いを浮かべたまま、手を前に出して待ってくれ、とジェスチャーをする。
「いやいや、誤解しないでくんな。お姉ちゃんの予想も外れちゃいないが、昔の話さ。ついこないだ、隣国のお
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