プロローグ

 どことも知れぬ、暗い、石造りの小部屋。窓がなく、太陽の光が差し込まないせいだろうか。部屋の底には、淀んだカビ臭い空気が滞留し、冷たい石壁は常にしっとりと濡れている。
 扉を開け放し、風通りをよくすれば、この雰囲気もすこしはマシになるだろう。だが、この部屋の主は絶対にそれをしない。それは、部屋の中にあるものを見られたくないからに違いない。
 部屋の中には、およそ外界では見ることのできないような怪しげな器具が所狭しと並んでいる。泡立ち煙を吐く大鍋や、吊るされた何かの干物などはまだ良い方で、蛍光色に怪しく光る液体を湛えた硝子の大筒や、触手の森の植物群を彷彿とさせる絡まり合った油まみれの管など、魔術にも錬金術にも属しそうにない器具も散見される。並みの魔学者や歴史学者では、これらの正体のそのほんの一端の手掛かりすら掴むことはできないだろう。
そんな怪しげな空間の中央にそびえる、一際大きな、大人一人くらいなら余裕を持って入れそうな大きさの硝子菅と向かい合うようにして、「それ」は一人真剣な面持ちで佇んでいた。
 暗闇の中、目前の硝子菅に満たされた液体が発する薄緑色の光に照らし出されたその顔立ちは、幼い少女のものだ。だが、その眼光だけは違っていた。
 女性の年齢というのは、まず声に出る。ついで、その眼差しに現れる。これは、人も魔物も変わらない。彼女の硝子菅を見つめる目は、老獪な山羊を彷彿とさせた。
 爪も牙も持たず、知恵だけで飢えた狼の群れを退け、山の頂にて不気味に勝鬨を啼く、狡猾な獣。
 彼女の纏う裾の長い白装束が、その印象を加速させた。
 彼女の視線の先、硝子菅の中で流動する明るい濁りの中で、一瞬、何かの影が揺らめいた。
「触るでないぞ」
 しゃがれた声は、硝子菅の中の存在に向けられたものではない。
 彼女の背後の暗がりに、何かがいた。
 それは、しまった、といった感じで、布の掛けられたケージに伸ばした手を引っ込めた。
 しかしその際に、偶然を装って、ケージに掛けられた布の裾をめくった。その中身が、ちらと見えた。
「なにこれ、テンタクルの死骸?」
 悪びれる様子もないその声からは、不躾な性格が垣間見れた。
「いんや、生きとる」
 白装束の少女は、そんな態度を気にする様子もない。
「大事な実験体だ。特に貴重な魔物ではないが、この辺りで生きた個体を手に入れようとすると、骨が折れる。今は薬で眠らせとるが、こやつらはどんな小さな隙間にでも潜り込めるでな、逃げ出したら敵わん。絶対に起こしてはならんぞ」
 結構な迫力の込められた声だったが、暗がりの中のモノは気にする様子もなく、「ふーん」と適当な返事をした。中身が分かって興味を失ったのだろう。
「それよりさー……」
 行き場の無くした好奇心が次の獲物を見つけたのらしい。その喉から、嬉々とした声が溢れ出る。
「ソレ、目の前の硝子菅、ソコにいるのクノイチでしょ!? うわうわうわー! ホントだったんだ! 子供一人暗殺する任務にしくじって、それどころか返り討ちにあって瀕死の状態で逃げ帰ってきたって! うっわー! バカみたい!」
 暗がりの中の存在は、腹を抱えてゲラゲラと大声で笑った。ひぃひぃと苦しそうに肩で息をしながら続ける。
「いやー、抜け忍とかいってカッコつけても、結局は訓練が辛くて逃げてきた落ちこぼれだからね! こんなもんだよ、そりゃさ! いやー、でも良かったー。前々から暗殺部門は2人もいらないって思ってたんだよ。これでご主人も納得してくれるだろうね! そのお間抜けさんは殺処分! あとはボクが、この優秀なボクが! 最強至高の暗殺者としてご主人の影になるってこと! いいなーソレ! そう思わない? 思うだろうね!」
 呼吸困難になる程にまくし立てるソレに、白装束の少女は冷ややかな目線を向けた。
「どうだかな。まぁ、我らが決めることではなかろうよ」
「えぇー! ちょっと待ってよ!」
 暗がりの中のモノは、さも不服そうに声を上げた。
「ならさならさ、ご主人に進言してよ!そっちから言ってくれれば、ご主人も考えてくれるでしょ?」
 ふむ、と白装束の少女は逡巡した。
 暫くして、何かに納得したらしく、一人でふむふむと頷いてから顔を上げた。
「ならばおぬし、クノイチの尻拭いをしてこい。そして、自分の方が優秀であることを証明せい」
「それって、例のお坊ちゃまを始末しろってこと?」
 暗がりの中から響く声に、露骨に苛立ちが混じる。
「あのさ、そこのアホじゃないんだから、そんなの試すまでもなく当然余裕に決まってるでしょ? 条件として機能してないよ。すごく失礼なこといってるの、分かってる?」
「無論」
 しゃがれた声が、割って入った。
「おぬしの能力があれば、子供一人誰にも気付かれずに消すことなど朝飯前だろう。だから、生け捕
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