没落少年貴族の冒険 その5

 クノイチは、ジパング地方を発祥とする女性のみの隠密集団である。
 人間のくノ一一派と、魔物としてのクノイチ一派が存在するようだが、何といっても隠密集団であるため、実際のところははっきりしていない。
 魔物としてのクノイチ一派は、現魔王の思想を広めるために世界中で暗躍しているが、これに異を唱え、一派から抜け出し、自らの認めた主人にのみ従うものも少数だが存在する。
 時として魔王にさえ刃を向ける彼女らを、クノイチ達は裏切り者と忌み嫌い、「抜け忍」と呼んで明確に敵として区別している。
 そしてアリーシャも、この「抜け忍」の一人であった。それは、彼女が親魔物派の貴族に刃を向けたという時点で揺るがない事実なのであった。

 ☆

 クノイチ、アリーシャが虚空に跳ねた。
 弧を描きながら、無数の手裏剣を動けないエミール少年に向けて投擲する。
 ミーファが少年を庇うように前に立ち、影の蔦で全ての手裏剣を叩き落とす。

 クノイチはジパング地方原産のサキュバスの一種であるが、他のサキュバス種には見られない極端に発達した身体能力で有名である。鍛錬に鍛錬を重ねた暗器の扱い、何代にも渡り磨き抜かれた隠密としての技術を含めれば、種族としての強さは魔物の中でも指折りと恐れられるが、数少ない欠点として翼が退化してしまったせいで飛行能力を持たないことが挙げられる。

 如何に身のこなしが素早いクノイチとて、空中では急に体制を変えることは出来まい。
 ミーファは蔦の内一本を、弾丸の如き勢いで空中のアリーシャに向けて発射した。
 が、命中すると思ったその時、アリーシャが蔦を蹴って再び闇に溶ける。
 ミーファは反射的に周囲の蔦を全て背後に回す。
 ほぼ同時に背後からアリーシャが切りかかってくる。
 だが今度は押し込まれない。蔦の数も先程よりもずっと多い。それでも互角鍔迫り合いではあるが、こちらは変幻自在の影の蔦。切りかかってきた刀身と刀を握る手を絡み取れば、素早い動きを制限できる。
「ほう、ファミリアにしては随分と勘がいい。魔力も濃いし、動きも早い。さらには度胸もあるようですね。余程強力な執念を込めて生み出されたと見ました」
「アリーシャ! 信じてましたのに! 最初から、シェルドン家を貶めるために送り込まれた刺客だったのですね!」
 アリーシャの目に一瞬不信の色が浮かんだ。
 だが怒りに震えるミーファの様子の、開いた瞳孔、そして髪が逆立ったことでピンと上を向いた猫の耳を見て、合点がいったようである。
「成程、ミーファ……。シェルドン家で飼っていた猫の名前でしたね」
 まるで今思い出したかのように、自分には関係のない話であるかのように放った言葉には、なんの感慨も含まれていない。
 
 ミーファにとって、これはある種の因縁の戦いであった。
 アリーシャの密告により、シェルドン家は失墜し、旦那様も奥様も、坊ちゃまも全てを失った。そして、それは飼い猫であった自分も同じであった。
 だが、地に落ち泥を啜ろうと、アリーシャを責める気持ちにはなれなかった。やはり、普通の人間にとって魔物というのは恐ろしい。今や自分も魔物であるからよくわかる。仮に魔物側に敵意が無かったとしても、腕力、魔力、共に人間を遥かに凌駕し、人とは異なる理に生きる。生物であるならば、警戒してしかるべき存在。アリーシャがサバトを恐ろしく思い、ついつい外部の誰かに相談してしまったとして、誰が彼女を責められようか?
 だがしかし、当の彼女が魔物であったなら。もとよりシェルドン家の失脚を望む何者かによって送り込まれた刺客であったのならば。なによりも、それを見抜けずのうのうと世話を受けていた自分自身が許せない!

 ミーファは、蔦で刀と腕を絡め捕りアリーシャの動きを封じつつ、もう一つの策の準備を進めていた。今、周囲の蔦は全て防御に向けている、しかし、自分の生み出せる蔦はもう一本ある。最初に空中のアリーシャを攻撃しようとしてかわされたあの一本。
 あれを鋭く研ぎ澄まされた棘に変形させ、串刺しにしてくれる! 足元の影の中で魔力を練り込み、今まさに、必殺の一撃が放たれようとしていた。
「反撃の機会を伺っているようですが、大事な大事なお坊ちゃまの方は大丈夫ですか?」
 アリーシャの腰から、先端が矢尻のように尖った尻尾が勢いよく伸びた。その先には、地に伏したエミール少年。
「!!」この尻尾、こんなにも早く動かせるのか! しかも伸縮自在、その切っ先は、迷いなくエミール少年の喉元を捕えている!
 ミーファはアリーシャの首に向けて照準を合わせていた攻撃を、急遽エミール少年に向かって伸びる尾の先端に向けて発射する。そして。間一髪で尾をはじきとばす。

 だが次の瞬間、今度はアリーシャの腰の後ろ辺りの服がはじけ飛び、背後から二本の紅い
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