失った加護

 思いもよらず、なんの寄る辺もなしに空に投げ出されたヘルゲは、その時の気持ちを生涯忘れなかった。
 空から見る地上の、なんと広大なことか。天地とはこのことかと、ヘルゲは思った。
 そうだ。地から見る天には果てがなく、天から見る地にも果てなどはない。きっとどれほど高く上がろうと、果てなどはないに違いない。
 この広大で雄大な天地をその双眸で見定めた時、ヘルゲの中でなにかが変わった気がした。
 と、その高揚に浸る間もなく、落下が始まった。
 が、すぐに止まった。追いかけたフリストがヘルゲを抱き止めていたからだ。
「二人では滑空するのが精一杯です。このままどこかに降ります」
 地上に着いた時、フリストはヘルゲの前に跪いて非礼を詫びた。が、ヘルゲはそれどころではない。
 これまで、視界の全てが世界の全てであった。
 が、その視界の外にあれだけ広い天地があったのだ。その感慨も大きい。その天地に自分はヴァルキリーを従えて、ヴァルキリーに追われているのだから、ヘルゲのような男はこの世界にそう居るものではないだろう。
 そう思うと、かつて目指した勇者という地位よりよほど稀有な位置に居る自分を実感し、身の締まる思いがした。
(俺が毅然としなければ。フリストを守らねば)
 ついさっき、あれだけの実力の開きを見たにも関わらずそう思ったのだから、ヘルゲは純真である。
「フリスト、彼女は貴女を殺すつもりらしい」
「ええ。しかし問題は、かつてはそうでなかった強さの序列が入れ替わっているということです」
 フリストが言うには、ヴァルキリーの攻撃力と防御力には、主神の加護が備わっているので、少し強化されている。
 その加護が、フリストは弱まっているという。
「いえ、限りなくゼロになっていると言ってもいいでしょう。当然ですね。主神などより貴方の方が大切なのですから。
 我が槍を捧げるのは神でなく、我が主。主神の加護などどうして得られましょう」
 そのことを、フリストは嘆くでもなく、寧ろ誇らしげに言う。
 その様を見て、ヘルゲは自身の立場の重みを知った。
(フリストは、神よりも俺を優先してくれた。しかもそのことを悔いていない。
 生半な覚悟と働きでは、フリストに恥ずかしい)
 しかし、現実の戦力差は如何ともし難い。
 まず、ロスヴァイセ。
「戦闘技術とは、反射と判断力です。まずわたくしとロスヴァイセの差はそんなものでしょう。先にわたくしがロスヴァイセの突進を跳ね返したのも、体重移動、力の入れ方、抜き方、狙う部位など諸々の小技が為しえたもの。その気になれば向こうも出来るでしょう。
 技術で勝っても基本能力で負けていますから、彼我の戦力差は覆っている。
 簡単に言えば、わたくしが有効打を加えるには三撃必要ですが、向こうは一撃でいい。それを延々繰り返すうち、反射と判断力は疲労によって鈍り、不利になるでしょう。
 まあ、不利とはいえ負けるつもりはありません。ロスヴァイセはわたくしにお任せください、ヘルゲ」
 強がりでもなんでもない。フリストは不利を背負ったまま勝つと、心から断言する。
「元々わたくしに勝てるヴァルキリーなど、ラーズグリース、レギンレイヴ、そしてロスヴァイセと同じ、後輩のブリュンヒルデくらいなものです。その序列が少し入れ替わっただけ。ご案じのことはありません。
 問題は八人のエインヘリアルです。あれだけはどうにもならない」
 フリストがロスヴァイセと戦う最中、間違いなく八人の勇士はヘルゲを狙うだろう。
「私で勝てますか、フリスト?」
「失礼ながら、不可能です。彼らは難行を踏破した勇者たちに他ならない。いわば、自身の生を全うして神の尖兵になった者たちなのです。まだ人生を終えていない我が王で、太刀打ち出来る相手ではないでしょう」
 しかし、とフリストは続ける。
「彼らの武功は戦場の武功。貴方のようにドラゴンに挑んだ者など果たして居るかどうか。個人の力量にそれほどの差はないと思われます。
 問題はあの数です。あれだけはどうにも」
 難しい話だ。
 圧倒的に戦力が足りていない。
「ヘルゲ、あの戦争を覚えていますか?」
 頭を悩ますヘルゲに、フリストが言った。
「貴女が私を送り込んだ、あの戦争ですか?」
「その節はすみません。謝罪のしようもありません」
 まったく、フリストの価値観というものは完全に変わってしまったらしい。
 あの日、平然とヘルゲに失望したフリストが、今度は芯からばつが悪そうに頭を下げるのである。
「いえ、それはもう良いのです。過ぎた話です。
 あの戦争がどうかされましたか?」
「貴方は、武功の報酬をまだ受け取っていませんでしたね?」
 なにを言うのだろう。
 野戦を越えた後、攻城戦が始まる前に逃亡したのだ。報酬どころか逃亡の罪であろう。
 しかし、
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