優しい人の騙しかた

 良い男を探すと言うのは、とても大変な事だと思う。
 自分の好みに合う男なんて、一つの村に居るかいないか、だ。
 仮にいたとしても、大概は既に妻帯者である場合が多い。
 良い男は最高の財産だ、欲しがらない雌の方がおかしい。
 だからその妻を妬んだりしなかったし、奪い取るような事もしなかった。

 どれくらいの時間が過ぎただろうか?
 いくつの街を渡り歩いただろうか?
 いくつの幸せな家族風景を横目に歩いてきただろうか?
 気がつけば、私は随分と遠い所にまで来ていた。

「あの魔物共に頭ヤラれてる地域からたぁ、随分と遠くから来たもんだなぁ、おい」

 嫌魔族派の人間が住まう地域、薄暗い宿の一室。
 ベッドの上で初老の男性は呆れるような、感心するような表情で私を見つめて来た。
 皺と傷の多いその顔を見つめ返しながら、私は静かにうなずく。

「で、ここで金が尽きたから身体売ったと」

 彼の呆れの表情に苦い色が混じる。
 私がもう一度うなずくと、彼は大きな溜息をついて、

「妙にスレてなかったのはそういう事か。アホだろアンタ」

 苦い呆れ顔をしながら人差指で私の額を突く彼に胸が高鳴るのは、長旅で知らぬ間に心が弱っていたからか、それとも惚れた弱みか、

「あの……。貴方、傭兵さん、なんですよね……? その、お願いが、あるんです……」

 きっと両方なんだろうな、なんて心の中で思いながら、私は嘘をついた。
 嘘。彼を巣穴へと導く甘い罠。彼を捕まえる為の一本の綱。
 その罠が、綱が、私を締め付けて啼かせることになるなんて、その時は知らずに。



〜エキドナ被害報告書〜
『優しい人の騙しかた。』



 言動は粗野で、酒好き、女好き、煙草好き。
 相手を殺す時に躊躇せず、女の抱きかたも乱暴。
 まぁ、年も食っているし、顔だって私好みではあるが、美しい訳ではない。
 街や仕事で彼を見た他の女達は口を揃えて姦しく彼を罵る事だろう。
 だが、私は知っている。
 彼が隠れて孤児院に多額の寄付を行っている事。
 子供に取り囲まれた時、困り果てた顔でうろたえる事。
 いかなる仕事であろうとも、しっかりと筋を通す事。
 名前の刻まれていない墓の前に花を添えていた事。
 この身を乱暴に抱きしめる前に、ほんの少しだけ怯えるような表情をする事。
 そして、それらを指摘した時に、少しだけ拗ねたような表情をする事。
 決して清く正しい訳ではない。
 だが、決して悪人ではない彼が、私はたまらなく大好きだ。

「そろそろ満月か。辛いか? 嬢ちゃん」
「いえ、この病は潮のように満ち引きするのではなく、その時に一気に押し寄せるものですから……」
「そうかい」

 僅かに欠けた月の光の下、野営の準備をする。
 風にざわめく草の大地を照らす月を見上げれば、胸の奥で何かがざわつくのを感じる。
 月の光は魔物を興奮させる。代表的なのはワーウルフだが、他の魔物も同様に月の光によって己の理性を失い、餌に群がる醜い獣と化す。
 高い魔力と知性を持つこの身でさえ、月の光の魔力に抗うのは辛い。
 いや、正確には、実に遺憾ではあるが、抗いきることは出来ない。
 満月の夜。その時だけは、この身さえも情欲の炎に焼かれて理性が遠のく。

―――情けない。

 何度、月の魔力に酔ったまま彼と交わっただろうか。
 何度、目覚めた時に人間の両足が有る事に安堵しただろうか。
 エキドナ。私は魔物の母とさえ称される高位の魔物だと言うのに、己の身さえ満足に制御できないのか。
 こんなことでは、彼にバレてしまう。
 月の事が無くても頻繁に身体を求める私を、少なからず彼は不審に思っているのに。
 
 人間の形を模した足を撫でていると、不意に視界いっぱいに彼の顔が映った。
 それに一瞬遅れて、唇に柔らかな物が触れ、湿り気を帯びた柔らかな肉が私の口の中へと入ってくる。
 口づけされている。
そう理解した時には、私は草の上、逆光で影になった彼の顔を見上げていた。

「良いか?」

 唾液の糸を引きながら問う彼の表情は、たとえ影になっていても解る。
 子供のように、僅かな怯えを滲ませた表情。

「……こんな状況で聞くのはズルいと思います」

 彼の頭を抱き寄せると、乱暴な口付けが来た。
 自惚れかもしれないけど、彼は沈んでいた私を慰めてくれているんだろう。
 抱くとき、いっつも怖がってるくせに。
 こんな風に悩むのを止めてくれる。
 
 彼は優しい。
 他人の機微に敏感で、不器用だけど大切にしようと頑張ってくれる。
 
 だから、だからこそ、辛い。
 彼を騙している事が、この身がヒトではないことが
 この身がヒトのものであれば、普通に彼と結ばれたのに。
 この身がヒトのものであれば、彼の不器用な優しさを何の負い目もな
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