魔女と男








 なにこれ。

 今まで誰も踏み込ませなかった領域まで入り込んだ人間。
 黒い外套を羽織った男は、たった一人で森の中を呑気に歩いていた。
 その姿を見つけた途端、私は排除するどころか身体の痛みすら忘れて、梢の上で固まってしまっていた。

「たらららららららら〜

 無乳 貧乳 微乳 美乳
 余乳 巨乳 魔乳 覇乳
 八組ぃ〜の乳を選ぶとしたら
 君ならどれが好きぃ〜

 巨乳!

 巨乳好きは自分に素直
 思った事は隠せない でも
 理想と現実だ〜いぶ違うから 夢から覚めなさい〜」

 ええと、その。
 本当に何?

 小鳥たちの囀りでもなく、木々のざわめきでもなく、なんとも表現し難い言葉が森の中に流れていた。

 その、余り認めたくはないのだが。
 どうやら歌っているらしい。

 歌と言えば心を慰める癒しであるはずなのに、人間が口にしている歌といったら――

「おっぱいチョイスのセンスで
 その後の人生は 大きく左右されます
 まるで 左右のおっぱいのように」

 なんてひどい歌詞だ。
 女性の乳房について明け透けに口にして、恥じ入りもしないなど。
 こんな、破廉恥な歌を。
 ……破廉恥な歌なんて。

 私はつい、自らの胸元に視線を落としてしまっていた。
 今まで乳房の大きさなど気にも留めた事もなかったが、ふと気になった。

 私の胸は、人間が挙げた評価の中ではどの位置に値するのだろう。

「貧乳!」

 突然声を張った人間にどきりとした。

「貧乳好きぃ〜は中途半端 好みとしてぇ〜は中途半端」

 思わず胸を隠した私に気づいた様子もなく、人間は続きを歌っている。
 歌詞と台詞が交互に入り混じる奇妙な歌なので、偶然重なっただけだろう。
 
 どうかしている。

 私はため息をつきながら矢筒から矢を一本取り出す。
 ここに来る途中で樫から分けてもらった枝。
 弓に番えて、弦を引く。
 腕はずくずくと痛むが、弓を引けない程ではない。

 どうやって私に――森に気づかれる事なくここまで入り込んだのか。
 生け捕りにして、森の外に捨てる際にでも聞き出してみよう。
 人間にこの場所まで侵入を許してしまった事には変わりないのだから。

 あれと話すのか。
 ……嫌だなぁ。

【ド ノト カレ アト アルル スタグ ホオヴ】

 憂鬱な気分でオドを振り絞り、鏃に牡鹿の蹄をあしらえる。
 背負った荷物越しに当てれば、命に別状もないだろう。
 一撃で気絶させて、後は簀巻きにでもしてしまおう。
 何をするか判らないし。

 無警戒な人間を背後から狙い撃つなら、森の力を借りるまでも無い。
 油断し切ったその背に狙いをつけて、私は片目を閉じた。

「無乳好きは卑屈過ぎます 自分に自信がない証拠です」

 私は一呼吸息を止め、引き絞った矢を放った。

「おっぱいは決して――」

 黒い外套がはためき、不意を打たれた人間は破廉恥な歌を遮られてそのままばたりと――

「怖くな〜い」

「……え?」

 私は耳を疑った。
 目を見開いて人間の様子を確認する。

「勇気を持て下さい〜」

 矢が当たる直前まで呑気に歌っていて――いや、今も歌っているのだけれど。
 とにかく、何の警戒もなくただ歩いていただけだ。

「ラ〜ラララ〜ラララ〜ラララ〜ラ」

 私はその背中に確かに矢を射掛けたのに、今も立ったまま歌い続けている。

 ……矢をかわした?
 いや、かわしたなら込めた魔力は人間とは別のものを打っていたはずだ。
 魔力が弾けるその痕跡もなく、矢が止められた。
 どうやって?

 私は混乱していた。
 目にした事実が信じられずにいたが、振り返った人間が手にしている物を確認して、理解せざるを得なかった。

 人間を地面に打ち伏せるはずだった樫の矢が、その手に握られていた。

 例え魔力を込めようと矢は矢だ。
 勢いが止まれば地面に落ちる。
 でも、けれど。

 矢を素手で掴んで止めるだなんて。

 私はそれを理解しても尚信じられずに、何度も瞬きをした。
 人間はもう歌っていない。
 掴んで止められた矢はすでに樫の枝葉以外の何物でもなく、込めた魔力も当たらなければ雲散霧消するだけ。

 人間は手にした枝葉をまじまじと見入っていたかと思うと、不意に顔を上げた。
 黒い、柘榴石のような瞳だった。

 ……?

 人間の首は添え木でも当てて固まったように固定されている。
 じっと、こちらを見つめている。
 目が合っているような気がするのは、偶然なのだろうか。

 ま――まさか。

 普段より近づいているものの、それでも三〇〇歩は距離を置いている。
 しかもここは見通しの悪い森の中。
 木々が張り巡らせた枝葉に身を隠す私を、人間が見つけられるはずがない。


[3]次へ
ページ移動[1 2 3 4 5 6..17]
[7]TOP
[0]投票 [*]感想
まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33