目を覚ましたのは夜明け前、辺りは暗闇に覆われていた。
夢の余韻が色濃く残っていた為か、自分がいる場所がどこなのか判らず混乱する。
腕はある。
足もある。
考える頭もある。
何も見通せない暗闇の中で、最も身近な自分の身体を確認して、俺は膝を抱えてその場に縮まった。
闇が怖くて瞼を閉じる。
暗闇に変わりはないが、何かの拍子にもっと怖いものを見なくても済む。
けれど恐怖は連鎖的に増殖して、想像を掻き立てていった。
今まで目にし触れて実感したもの全てが、人を殺す怪物の夢でしかないとしたら。
生き物の姿がない枯れた森でうずくまっているだけとしたら。
恐ろしくて泣きそうになってしまう。
奥歯を噛み締めて悲鳴を我慢した。
泣いてはいけない。
そういう約束をした。
次々と襲い繰る恐怖に攫われないよう、俺はその場で根を張ったようにうずくまっていた。
そうしてどれくらい我慢していただろう。
「お目覚めか。おはよう」
いつか聞いた声が間近で聞こえた。
「……おはよう」
俺は口を開けばすぐにでも飛び出てきそうになる悲鳴を充分噛み殺してから、強張った声音で答えた。
「なんだ、また怖い夢で見ておったのか? いい年こいてこの弱虫め。おねしょでもしようものなら一生笑い種にしてやるからそう思え」
声は小馬鹿にしたような口調と共に鼻先で笑った。
先ほどまであった恐怖の底で、ふつふつと湧き上がり始めているのは怒りだ。
俺を馬鹿にする表情も細部に渡ってしっかりと想像する事が出来る。
相変わらず生意気で腹が立った。
「おねしょなどするか」
「だが夢精はするだろう。盗んだ下着を嗅ぎまくり、パンツを汚す一五の夜」
「やめろ」
「照れるな。男なら誰もが通る道だろう。挿れてもいないのに発射などと、男は贅沢な身体の作りになっているものだな」
「恥じらいを持てと言っている」
「阿呆め。見せる相手を選んどるだけだ。それとも何か。お前の前で乙女のごとく振舞えとでも言うのか」
「例えば?」
「んもう、お兄ちゃんってば臆病さん。私の魔法で怖い夢どころか目が覚めなくしちゃうぞ! マジカルちゅっ♪」
「おえっ」
「殺すぞ」
「気持ち悪いから恥らうな」
「ぶち殺すぞ」
下品で口が悪くて乱暴な声と会話をしていると、怒りも確かに湧き上がるが、不思議な事に安堵していた。
何一つ定かでない暗闇の中、よく知る者の声はとても安心出来た。
緊張で固まっていた身体から、じわりじわりと硬さが抜けていくのが判った。
良く知っている相手だからだろうか。
それとも、良く知っている相手に似ているからだろうか。
なんのてらいも気後れも遠慮もなく、乱暴な言葉遣いに引きずられて俺まで口調がぶっきらぼうになっていた。
この感覚がそうなのだろうかと疑いながら、俺は暗闇の中で呼びかける。
「おい、妹」
「なんだ兄」
「ありがとう」
「理由のない無差別感謝でほだされるとでも思ったか? わしをそこらの尻がゆるい妹と同じに思うのなら大間違いだぞ」
「いてくれてありがとう」
「わしが存在するのは美少女の美少女たる由縁よ。世界共通の財産として、まもなく恒久美少女指定を受けるのであろう」
「妹になってくれてありがとう」
「全国妹至上主義協会の会長代理を務めるわしにとって、はるか東の輪廻の枠組みすら超えた位置にありすでに妹である。魂的に。よって啓蒙活動を行っているだけであり感謝されるいわれはない」
「家族になってくれて、ありがとう」
「……」
今まで口を開けば汚い言葉の応酬になり、態度で表そうとすれば互いに手が出る喧嘩になり、余り仲の良い関係だったとは言えなかった。
時間の経過が俺の意地を解きほぐしたのか、旅の出会いが俺自身を変えたのか。
単に暗闇の中であの憎たらしい顔を見ずに済んでいるだけなのか。
まだ答えは出ないが、ありがとうと口にした事に間違いはない。
そのはずだと固く信じた。
「おい、妹」
「なんだ兄」
「その恥じらいは気持ち悪くない」
ただ、少しばかり照れくさかったから、急に黙り込んでしまった妹をはやすような言葉を口にした。
「殴る」
一秒と待たずに拳で即答してきた。
うずくまっていた俺は柔らかいベッドの上で大の字に転がる。
妹のパンチは相変わらず骨身に染みる痛烈なものだったが、ただ痛いだけのものではないというのが最近になって判ってきた。
「おい、妹」
「なんだ兄」
「お前の手はもさもさだな」
その手についた鈎爪を使えば、首を掻き切る事など容易い。
殴るのに適した手ではないのに殴ってくる妹は、口で言うほど乱暴ではないのだ。
極端に気が短い
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