「ミードだミード。甘いものが足りんのだ店にあるだけ持って来い。早く早く早くミードを!」
長年使い込まれたくすんだテーブルを樹のジョッキで叩きながら、彼女が蜂蜜酒の追加を催促している。
小さな手の平が振り下ろされる度、テーブルの上に雑多に並んだ皿が跳ねる。
俺は踊る皿から中身がこぼれないよう防ぐので手一杯だった。
日もすっかり傾いた宵の口、彼女の提案で裏路地にひっそりと佇んでいた酒保兼宿に足を踏み入れたのだが、鐘一つと経たずにこの有様だ。
エルクの炙り肉やドードーを揚げた骨付き肉(チューリップと言うらしい)をつつき、硬い黒パンをシチューに浸して齧っている間は良かった。
一週間ぶりの人らしい食事に満足したかと思った矢先、彼女は追加注文にさりげなく蜂蜜酒を織り交ぜた。
俺は正直、余りいい顔をしていなかったと思う。
彼女もそんな俺の感情の動きを悟った様子で、愛らしい顔をにやりと歪めて笑った。
「不満があるか? 仕方なかろう。このようなしみったれた場末の売春宿に、甘い焼き菓子など望むべくもなし。甘露と言えばミードが定石。
一舐めもすれば旅の疲れが癒える。ほれ、ぬしも頼めい」
ころころと鈴が鳴るような声と口の悪い言葉遣いで、俺も酒を頼むように言われた。
ついでに言えば、握った木のスプーンを指の代わりにあちこちを指すので行儀も悪かった。
さらに付け加えるなら、彼女の言うしみったれた場末の売春宿を営む主人が嫌そうな顔をした。
良くない予感はまざまざと感じていたが、彼女の言葉に一理あったのでエールを一杯頼んだ。
嫌な予感は的中するものだ。
だが嫌な予感は感じた時点で悪い方向に転がっているものなので、回避のしようがない事も理解していた。
理解はしていたが、だからと言って傍観するのとはまた別の話だ。
俺たちは間違いなく当事者なのだから。
「魔女殿」
俺は軽快なダンスを続ける皿たちが舞台から飛び降りたりしないよう支えながら、小声で呼んだ。
「うん?」
肩越しに振り返って叫んでいた彼女は、ぐるりと正面に向き直った。
ミードの様に甘い蜂蜜色の髪。
先の尖った黒帽子を頭にちょこんと乗せて、ゆったりとした旅装束も黒。
くりくりとした赤い瞳が印象的だ。
寝床から抜け出してきた小さな女の子に見えなくもないが、その印象は相手に誤解を与える為だと聞かされている。
少なくとも、酒保で蜂蜜酒を催促する幼子なので、その誤解を正しく相手に伝えられているかと言われればそうでもない気がする。
この問題はすでに二一五回は議論に挙げ、
「うるさい」
「細かい事は良いのだ」
という彼女の言葉によって結論付けられていた。
どう見ても幼子に見える幼子らしくない彼女は、ジョッキに残った雫をちろちろと桃色の舌で舐めている。
おかげで端の欠けた皿たちが織り成す乱痴気騒ぎの行方と、ジョッキの中身がぶちまけられる心配がなくなった。
心配事が二つも減った。
とても安心だ。
「叫んで催促した所で、蜂蜜酒が走ってきたりはしません」
道理を持って、叫ぶ意味の無さを彼女に説明する。
「たわけ。蜂蜜酒を運ぶ者は走るであろう」
「なるほど」
彼女は思慮深い。
「ですが走って運んだ結果こぼれた場合、蜂蜜酒の一部は床が飲んでしまいます」
「む」
俺を見る赤い目が座っているのは、酔いの為だろうか。
俺が反論した時は、彼女はいつもこういった表情を浮かべる。
つまり、いつも通り。
そう判断して、俺は走らないことで得られる利点を彼女に進言する。
「歩いて持って来られた方が、何かとお得です」
彼女はじっと俺を見据えた。
傾けたジョッキから滴る蜂蜜酒のわずかな雫を舌で受けながら。
「すっかり反抗期だな。わしに説教じみた言葉まで吐くようになりおった」
「説教ではありません」
彼女の言葉を借りるなら、説諭や説得の類だ。
そして、より正確な言葉を挙げるなら。
「苦言を呈しています」
俺の言葉に、彼女の顔は苦い物でも口に突っ込まれたような表情になった。
ジョッキを激しく振る事で、蜂蜜酒の最後の一滴に苦い成分でも生まれたのだろうか。
「全く、誰に似おったのか。愛想なく育ったものよ」
「似たと言うのなら、魔女殿に似たのではないでしょうか」
誰に似るかといえば、最も接している時間が長い彼女だろう。
他に思い当たる当ては無い。
俺の言葉は彼女の機嫌を損ねてしまったようで、ますます顔をしかめた。
がたんとジョッキの底でテーブルを叩いた。
皿に直撃しなかったのは僥倖。
「口ばかり達者になりおって。わしが狭量であれば、今頃は魔界送りになっておったやもしれんという自覚は
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