帰らずの蜜を求めて

〜本編のような 導入部〜
貴族のお抱え料理人(ビクターの場合)

 陶製の器に入った粘り気のある液体を指先につけて舐めてみた。その瞬間に、こめかみあたりに痛みを感じた。恐ろしく甘い。
「いくら甘いものをといっても、これは違うな」
 俺はその液体を自分で作っておいて、眉をしかめた。こうなることは予想の範疇だったが、予想以上にひどい味にため息が出た。もし、これがもう少しマシな味なら、そこから調整することでどうにかできないかと考えたのだが、当てが外れてしまった。
「スポンサーがいるとはいえ、無駄使いしてしまったな」
 貴重品である砂糖など甘味調味料を限界以上に使った液体なので、薄めて何かのお菓子に使わないと、もったいなさすぎる。だが、今はそれをしている暇はない。
「しかし、困ったな」
 俺は八方塞がりなことに椅子に腰を下ろして、天井を見上げた。そういえば、調理場で腰を下ろしたのは、いつ以来だろう? 調理人たるもの、調理場では腰を下ろすなと親方に怒られた見習の日々を思い出された。
 俺は、見習の修業を終えて、親方に認められて独立した。色々なところを渡り歩いて、今はある金持ち貴族の屋敷で料理人をしている。主席ではないが、三番目ぐらいの地位だ。
 俺の歳でこの地位は、料理人としては、なかなか順風満帆の人生だと思う。つい、先日までは。
 事は先週にさかのぼる。出入りの商人の一人が、珍しい飲み物が手に入ったと屋敷に持ち込んだのだ。それ自体は珍しくもない。商人たちは、屋敷の住人からお金を巻き上げようと眉唾なものでも、さも、由緒正しきものとばかりに持ち込んでくる。
 商人の持ち込んだ飲み物は、高そうな透明なガラス製の瓶に入っていて、蜜蝋でしっかりと封をされていた。中で揺れる液体は、うっすらと赤みがかっていて、見た目には美味そうな雰囲気をしていた。その商人は、それを『帰らずの蜜』と言った。
 『帰らずの蜜』というのは、魔物の一種でアルラウネというのが作る蜜、もしくはそれを水で薄めたものだ。その蜜は甘美で極上だと言われていて、めったに手に入るものではない。
 昔、ある大貴族が、その蜜の味を知ってしまい、蜜を手に入れるために莫大な財を使い切り、最後はアルラウネがいると言われていた森に私兵を引き連れ攻め込み、帰らぬ人になった。それから『帰らずの蜜』と呼ばれるようになった。
 そんな甘美な蜜と噂が広がり、『帰らずの蜜』は、偽物がよく出回るものになった。ひどいものだと、甘蔓の汁を水で薄めて食紅で赤く染めたというものもある。程度がよくても、思いっきり砂糖を溶かしただけのものだったりする。
 偽物を買った人間が怒って、返金を求めに商人を探しても、商人はどこかに雲隠れしてしまい、代金が返ってこない。そういう意味でも『帰らずの蜜』とも言われていたりする。
 その名を聞いて、料理人で手を出す者はいない。というのも、真偽の判定が難しいのだ。なにせ、本物を見たことがない。魔界で採れる果物などは裏ルートで出回ることがたまにある。果物だと偽造しにくいし、本物を知っていれば、形や香りなどで判断できる。
 だが、この『帰らずの蜜』だけは本物というのを目にしたことがないのだ。基準がなければ、真偽も判別できない。知られているのは、とてもいい甘い香り、そして、赤い色をしているということだけだった。
 俺の雇い主は好事家で、たまに商人にだまされることもあるが、馬鹿ではない。『帰らずの蜜』に手を出すほど、愚かではない。商人の持ち込んだものを鼻で笑って、「出入り禁止になりたいらしいな」と退去を命じた。当然だろう。
 まあ、そんな折り紙つきに怪しい商品を持ち込むのは、余程、商人が金に困っているということになる。それだけで信用はなくなる。出入り禁止になるのは当たり前だ。『帰らずの蜜』は出入り商人たちにとっては最大のタブーなのだ。
 だが、商人は本物だと言い張った。そして、これまで築いた信頼を信じてほしいと懇願した。しかし、雇い主はその商人を屋敷から乱暴に追い出した。商人は、今までのお礼だといい、その瓶を置いて屋敷を出て行った。
 それで、その『帰らずの蜜』は雇い主が「毒かもしれないから、処分しろ」と家令に命じたのだ。俺は、どんな偽物なのか気になって、家令に頼んで、捨てる前に少し味を見てみることにした。
 考えてみれば、馬鹿なことをしたものだ。
 家令とともに、一応、安全のために庭の東屋へ行き、最初から毒だと思い込んで腰の引けている家令に代わり、俺がその瓶のガラスでできた蓋を開けた。蜜蝋をはがしただけで、軽く甘い香りがした。そこから蓋を開けると、周囲に甘い香りが充満した。
 甘いと言っても、バラのようなきつさはない。しかし、しっかりとした甘みを含む香りで、少し金木犀に似ている。だが、甘味に爽やかさ
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