激突

 夕方と夜の境目を告げる鐘が鳴ったその時。胸騒ぎがした大司教は副団長に命じ、街の警戒を強めるように言った。それはちょうど、ヴォルフがカタコンベの中に入ったのと同時であった。
 聖騎士として聖別を済ませているとはいえ、この土地に根差しているわけではないヴォルフという侵入者に対し、結界の大部分を担っているカタコンベが反応したのだろうと思っていた。しかし、結界の意志という他ない独特の感覚を有していた大司教は、その繋がりが急速に薄れていくのを感じ取ってしまった。
 カタコンベに張られた結界こそは宗教都市の要とも言える、主神に仇なす者を拒絶する強烈無比な守りの術である。歴代の司祭や聖騎士、そしてとびきり魔力が高く主神への祈りが敬虔であったとされる者たちを納め、その力を底上げしていた。それを維持するのが大司教たる自分の務めである。
(よもや、この機会を狙われていたのか?)
 ヴォルフの姿をこの目で見て、そこから微かに漂う異物の魔力には気が付いていた。しかし吹けば飛ぶ程度の魔力であれば問題にならないと判断してカタコンベに送ったのだ。
 しかし現に、ヴォルフに呼応するようにして、カタコンベの術が自分から離れていくのを感じてしまう。まるでヴォルフという存在が仲介となって、地上とのパイプとして魔力を吸い上げているかのように。もはやこの流れは止められない。
(これもお前の意志なのか、ライア……)
 達観の境地に入り、大司教は愛しい娘の顔を思い浮かべる。
 夢枕に立たれるよりもずっと前、彼女を失ってからずっと、その顔を忘れたことはなかった。
 妻は出産という試練に打ち勝つことができず、命の交換のように娘を託してこの世を去った。悲しみを乗り越え、次の世継ぎは作らず、女でも人の上に立つことは出来ると、物心がついたころから娘には主神に仕える者としての心構えを説いた。彼女はいやな顔ひとつせずにそれを受け入れ、あらゆる要求に応えてくれた。司祭としての資格を得るために遠方の教会に赴くことも、立派にそれを成し遂げて跡目を継いでくれることも、すべてを順調にこなしてくれていた。
 帰りの馬車が狂風にやられ、消息を絶つまでは。数週間の捜索を経てここに戻って来れたのは無残にも身体を失い、頭だけになった愛し子であった。
「すまない──ライア、すまない──」
 父らしいことなど何もしてやれなかった。
 早くに妻を失い、悲しみを乗り越えた気でいたものの、成長するごとに面影がそっくりになっていく娘の顔を見続けることが辛くなった。だから遠くに務ませる話を承知してしまったのだ。
 すべては自分の弱さが招いたこと。あの日、娘を遠くにやっていなければ、あんな事故は起きなかったのに。
 悔やんでも悔やんでも悔やみきれない。だから丁重に埋葬した娘が夢枕に立った時、それが罠であろうと構わないと、一も二もなく飛びついたのだ。
 会いたいと言うなら会ってやりたい。もう二度と、娘から逃げたくない。
 だから、ああ、ライア。
 もう一度、もう一度だけ。

「いいえ。もう二度と離れませんわ──お父様
hearts;」

 大司教の背後。
 夜を溶かしこんだような真っ黒なドレスをまとった娘が死出の道から蘇った。
 街に施された祝福が、反転する。


 ○


 街の端に佇む墓地、そこを代表するかのように建つ霊廟。それこそはカタコンベの入口であり、宗教都市を名乗るに相応しい威厳ある佇まいをしていた。
 しかし今は無残にも黒く焦げ付き、炎に巻かれたように煤をまとっている。やがてその開け放しの口から、ドラゴンブレスのような火焔が吹きあがった。
「死ねぇぇえええええ!!」
 少女の雄たけびが続く。火焔とともに巻き上がった空気と一緒に、焦げ付いた甲冑が吐き出された。
「っつあ、ハァッ!!」
 全力の抗炎魔法でもって火炎放射を防いだヴォルフである。それでも勢いに呑まれ、階段を突っ切って地上へと吹き飛ばされたのだ。
 そうして地上に飛び出たヴォルフは階下の狼少女という脅威以上に、街の空気が一変していることを感じ取った。いよいよ始まったのだ、と理解を進める。そうして考えられる次の事態を考えた。
 いままさに、街は宗教都市ではなく、その聖なる魔力が裏返った魔都市と化した。空気の淀みが魔界のそれと同じになり、人間にとっての毒に、魔物にとっての栄養と化していく。
 こうなった場合、身体の外の魔力との影響が色濃い女たちは時を置かずして魔物へと変貌してしまう。身体の内に魔力を貯めることに適した男はしばらく持つが、雌の魅力に敗けるか、同じく時間を掛けて外側の魔力を取り込むことで徐々に魔物側へ変質してしまうだろう。魔界に変じた土地でよく見られる光景だ。
 もはやこの地に人間の未来はない。その片棒を担いだことに関して思うところがないわけ
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