その2

「いらない」
 時間にしてみれば一秒に満たなかったかも知れないが、僕にとってはようやく絞り出した声だった。動揺しているのだ、この上なく。
「そんなこと言っちゃ駄目だよ〜。授業はきちんと受けなくちゃ」
「余計な世話を焼くな。僕は僕の意思であの講義を放棄するんだ」
 声は震えていないだろうか、言動に矛盾はないだろうか。必死に取り繕う僕をよそに、変わらぬ笑顔の彼女が語る。
「あの授業だって評価に含まれるんだよ? 意地を張ったせいで評定に響いたらつまらないでしょ」
「生憎と僕の関心はそこじゃないんだ。評定程度、君に譲ってやる」
 半分嘘を吐いた。成績に興味がないのは本当だが、人に勝ちを譲るのは大嫌いだ。すると彼女は眉を曇らせ、
「それは残念。エデルくんと競い合うのは私の楽しみだったのに」
 と言った。あからさまなリップサービス、いつもなら鼻で笑うところだ。
 しかし、今ばかりは。あの光景がいまだ生々しく思い出される今ばかりは。死角から放たれた矢のように僕の不意を突き、言葉に込められた意味を考えさせられてしまう。
「じょ、冗談はよせ」
「いいえ? 意味のない冗談は申しませんわ」
 彼女はそれこそ冗談混じりに軽やかな笑みを見せる。僕の狼狽ぶりをあざ笑っているかのようだ。そう考えた時、屈辱に顔が熱くなった。思わず目を逸らす。不審に思われたかも知れない、そう思ったとき、場をすくい上げる鐘の音が鳴った。授業前の予鈴だ。彼女の視線が僕から外れる。
「あ、いけない。もうそんな時間だったのね」
「……先に行く。その不要な物は捨てておくんだな」
「い・や・です。エデルくんが要らないって言うなら……そうね。私が貰おうかな」
 核心を告げる台詞。今度こそ僕は限界だった。
「好きにしろ!」
 大声を上げ、逃げるように歩き出す。彼女がどんな顔をしているかだなんて確かめようとも思わない。これ以上なく無様な捨て台詞だった。



                    ×        ×        ×



 実技の時間。ぼんやり物思いにふけっていた僕を、隣の級友が小突いてきた。
「ね、呼ばれてるよ」
「え? あ、はい!」
 我に返り慌てて顔を上げた。周囲で怪訝そうな顔を並べた級友たちの先に、眉をひそめた教師がいる。
「どうしたねクラヴィッツ君。いつになく身が入ってないようだが?」
「いえ、何でもありません。もう一度お願いできますか?」
「ふむ? ……まあ良いでしょう。普段の勤勉ぶりに免じて不問としよう」
「ありがとうございます」
「それで、だ。例によって君とミス・マータとで実技の見本をして見せて欲しいのだが……構わないね? なに、やることはいつもと同じだよ」
――こんな時に限って、なんと間の悪い……。
 正直に言えば断りたかったが、既に皆の前で待機していたカレルの姿を見て、諦めた。ここで辞退したら余計な不信感を買ってしまう。普段通りに振舞わなければ。
「もちろんです、先生」
「うむ。では前に来なさい」
 視線を浴びながら前に出る。数歩の間を置いてカレルと相対した。彼女は腹が立つほどいつも通りだ。考えの読めない笑みでこちらを観察している。
 内心で苦々しく思っていると、教師が咳払いをした。
「さて。本日は静音魔法を応用した『発声を阻害する』魔法を教えよう。皆の中には既知の者もいるだろうな。そう。この魔法は対象の詠唱を邪魔することが可能だ。魔術師に絶大な効果を発揮する魔法だと言えるね。
 単純故に詠唱も短く使いやすいが、今言ったとおりこれは魔術師を無力化できる。それ故にアクセサリや解魔薬を始めとした様々な対応策が存在し、実戦でこれを成功させるのは困難を極めるだろう。
 しかし、だ。敵を知り己を知れば百戦危うからずと先人は言った。これをモノに出来んようでは対策も練れまい。
 球状、帯状、範囲型などと数種類のタイプが存在する魔法だが、今日はもっともスタンダードな個人に向けて放つ球状タイプのものを教えるとしよう。さて、ミス・マータ」
「はい」
「今から教える呪文をミスタ・クラヴィッツに向けて唱えてみなさい、光球が放てれば成功だ。
 対するミスタ・クラヴィッツは抵抗の魔法を唱えたまえ。以前やった通りにね。覚えているだろう?」
「はい。覚えています」
「よろしい。ではやってみたまえ」
 教師が彼女になにやら教え、3歩下がった。手のひらを見せ、僕らを促す。
 視線が交差する。僕は不愉快そうにカレルを睨みつけた。
 対するカレルは涼しい顔で受け止めてくる。全くもって気に入らない。魔法に抵抗したら反撃してやろうか。今回の発声阻害魔法なら既に修得済みだ。教師には叱られるだろうが彼女に恥をかかせられればそれでいい……そんな馬鹿げたことを考えてしまうくらい、僕の心は荒んでいた。
 
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