その1

 僕にとって思いもよらぬことだったのだが、長きに渡って僕を苦しめ続けた学園一の才女、カレル・ニャバ・マータの正体は魔物であったらしい。らしい、という曖昧な言い方は許して欲しい。僕だって信じがたいことなのだ。
 何故なら彼女は名家の息女、その生活は潔癖に完璧に管理されていて、魔物化などという堕落の代名詞とは縁のない世界を生きていた筈なのだから。行き帰りに馬車を使うのは当たり前、学園では常に教師たちが目を光らせ、ネズミ一匹とて彼女に寄りつかせない。その生家は教団の騎士団と関わりが深く、父親は元団長、兄たちもこぞって騎士団入りという徹底ぶり。万一魔物の影があろうものなら、あらゆる手段をもって潰すことが出来るだろう。
 だが、こんな途方もない仮説でも、当て推量以上に説得力はあるのだと言い切れる。なんたってこんな――

 誰もいない教室で、ひとり他人のオカリナに舌を這わせる彼女を見れば。



                    ×        ×        ×



 衝撃的光景を目の当たりにして些か動揺を禁じ得ない僕の心身を落ち着かせる為に、ここに至るまでの話をしよう。
 先ほどまで僕は、我が魂の学び舎『クラーク魔法大学校』において全くもって不要だと断じられる"音楽"の講義を受けていた。何故不要なのかは、勘の良い諸兄には分かることだろう。
 そう、この音楽講義は未成年の情操教育の一環などと称して、半ば無理矢理にカリキュラムに加えられている講義なのだ。だから魔法とはまるで関係ない、くだらない吟遊や聖歌をイヤと言うほど教え込まれる。いや、もしかすれば関連性を見いだすことも出来るのかも知れないが、少なくとも僕には無駄としか思えなかった。これなら高速詠唱の練習でもした方が百倍マシだ。
 極めつけは、楽器演奏。魔術講義に必要な教材を買う為の金で、個々の楽器――我がクラスはオカリナだった――を揃えるという愚策を強制した上に、面白くも何ともない曲を吹けと言うのだ。これには我慢強さに定評のある僕でも我慢ならなかった。
 下らない、全くもって下らない。オカリナが上手く吹けたとして魔法が繰り出せるのか? よしんば旋律に魔力をのせたとして、果たして有用な効果が出せるのか? 諸々の説明を行わずただ楽器を演奏せよという講義内容に、僕の堪忍袋はついに弾け飛んだ。
 時は金なり。けだし至言である。
 僕は講義の終了と共に自分のオカリナを手入れもそこそこにケースへ戻し、そのままゴミ箱へ放り投げた。短いモラトリアムを思えば当然の帰結、賢明な人なら誰だってそうする。僕だってそうする。
 名前も覚えてない級友が「あれだけ下手なら仕方ない」と憐れみの声を掛けてきたが、僕からすればそんなことは問題ではない。むしろ薬にも毒にもならない、非生産的な講義に時間を掛けさせられる方がよっぽど哀れだ。僕は後悔することなく、音楽教室を後にした。もう二度と来ることはあるまい。
 ……そう思っていたのだが、暇つぶしにと携帯していた魔導教本を机に入れっぱなしだったことに気づき、マヌケにもとって返すことになった。
 そこでこの現場に出くわすこととなる。



                    ×        ×        ×



 カレルのぽってりとした唇から伸びた紅色の舌は始めチロチロと、オカリナの吹き口辺りをさ迷うだけだった。それがやがて吹き口の山なりに沿って這うようになり、ついには肉厚な舌腹で触れるまでになる。メロォっと特別いやらしく、執拗に舐める動きだ。舌の動きは場所を変え角度を変え、オカリナの吹き口全体を舐めていく。興奮しているのか、苦しげな呼吸を繰り返していた。
「はっ…ぴち……ぴちゃ……はぁッ……ぴちゅ……ちゅぴゅ……ぢゅるるるるるるッ!」
 やがて控え目だった水音に、別の音が混じった。啜っているのだ、吹き口をくわえて、持ち主と彼女のが混ざり合った唾液を。
「んっ……っふぅ……ぢゅる、ぢゅるぢゅるぢゅろろろ、ぴちゃぴちゃ……は、はァ……!」
 もどかしそうに荒い呼吸を繰り返しながらカレルの動きは段々と激しくなっていく。すると不意に、左手をオカリナから手放した。その手はテラテラと濡れている……唾液が、オカリナの穴から溢れたのだろう。よほどの量が注がれているらしい。彼女は熱っぽい視線でその手を見つめていた。やがてゆっくりと手を下へ――、
「ッ!?」
 瞬間、僕は弾かれたように目を逸らした。部屋の中からは彼女の、押さえ気味ではあるが、確かな艶声が聞こえてくる。
 その時の僕は意外にも冷静だった。衝撃が大きすぎて感性が麻痺していたのかも知れない。まるで犬同士が致している現場を目撃してしまったかのような気まずさだけがあり、劣情などは微塵も感じなかった。
 見る者が見れ
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