その7

 朝っぱらから元気びんびん、性欲が治まらなかった俺は駅で運命の女に出会い、思わず電車で素股しちまったんだ! でもそれは夢みたいな時間で、駅に着いたらきれいさっぱり痕跡がなくなっていた! ガチ凹みする俺になんと夢でみたのと似た女性が寄ってきて、そのまま朝食までお誘いできちまった! これはもう付き合うしかねえなと思っていたら彼女は子持ちだという! なんてこったい!

「アホみたいだ」

 今日の回想をひと息に記してみて、感想はそれだった。酒をかっ食らってネジを3本くらい飛ばした作家でももう少しマシなプロットを書く気がする。

「客観的に捉えようとするからよ。事実は小説より奇なりって言うじゃない? 自分の感じたままを受け入れる方が楽だと思うけれど」

 目の前の女性、カオルの母親だと名乗る女が、フレンチトーストをパクパク放り込みながら言う。言ってることは尤もだけど、元凶のセリフじゃないと思うなぁ。

「朝から分からないことばかりで頭が痛くなってきた。これ以上混乱させるようなことを言わないでくれ」
「ふーん。人間ってやっぱり脆弱なのねぇ。この程度で音を上げるなんて」
「……なんか、口悪くなってないか?」

 ついでに口調も変わっている気がする。外見的にはこっちの方が似合っているけれど。

「こっちが素だもの。旦那様の前では素直になるって決めてたから」

 パチン☆とウィンクを贈ってくる。くそう、可愛い。
 さらりととんでもないことを言われた気がしたけど、捌ききれる自信がないのでスルーした。

「ま、長々と説明する気はないし。まずあなたの記憶を戻してからにしましょうか」
「は? 記憶?」
「手っ取り早いからね。あの子たちが掛けた術を解くなんて、卵を割るより簡単だわ」

 カィン

 グラスの縁にフォークを軽くぶつけた音。行儀が悪いと咎めようとした口が、開かなかった。
 その甲高い音が、ゆっくりと俺の耳まで反響してきたからだ。音は次第に大きく、仰け反りたくなるほどの圧倒的な奔流に変わってくる。そのプレッシャーにどっと冷や汗が湧いた。思わず耳を覆うが、既に入り込んでしまった音を追い出す手立てなどない。
 津波のような衝撃が、俺の脳内に貼りついていた暗幕を根こそぎ押し流していく感覚があった。真っ白になりかけた視界が戻ってきたとき、俺は目の前の女性が誰かを理解する。そして、自分がどういう日々を過ごしていたのかを。

 金曜。桜色の髪をしたカオルに声を掛けられ、自宅まで連れ帰った。
 土曜。紫色の髪をしたカオルとデートをして、彼女を追い出した。
 日曜。亜麻色の髪をしたカオルがやってきて、彼女に精を飲ませた。
 そして今日。カオルとは全くの別人に、俺は欲望をぶつけたのだ。
 カオルの母を名乗る、この黒髪の美女に。

「思い出した?」

 いかにも愉快そうに笑う彼女に、俺は首を縦に振った。

 そうとも。思い出した。思い出してしまった。
 もう俺は、逃れられないところまで堕ちているのだと、気づかされてしまった。
 こんな果実の味を。欲望を曝け出した淫蕩の日々を知ってしまったら。
 もう、俺の日常になんて戻れる筈がない。

「……君たちは何がしたいんだ」

 聞こえによっては無礼ともとれる発言だ。けれど言わずにはいられなかった。
 ここまでの出来事を思い出したら当然だろう。さっきの電車でのこともそうだが、昨日や一昨日だって、"俺が"まともじゃない。記憶の齟齬のせいだけではなく、感性が、どう見たっておかしくなっていた。たとえ誘惑されたってあそこまで突っ走る人間じゃなかった筈だ。
 彼女たちがそうなるよう仕向けているのは間違いない。そこまでする理由はなんだ。俺の身体が目当てなら、問答無用で襲えばいい話じゃないか。

「決まってるじゃない。私たちの目的はひとつ」

 事も無げに、どこか愛おしそうに、彼女は目を細めた。何のてらいもない口調で言う。

「あなたの欲望が向くまま、舐めてしゃぶって貪り尽くして欲しいだけ。そのためなら何だってする。何だってしたいの。それが生き甲斐だから」

 フォークについたシロップをこそげ取る。誘うように踊る舌から紡がれた言葉は、俺の心臓を容赦なく鷲掴んだ。
 こんな美女が? 俺に食べて欲しいって?
 震えそうな手でグラスを握り、ひと息に飲み干した。噴き零れそうだった欲望を水で鎮火する。駄目だ、ここで呑まれちゃいけない。

「生き甲斐とか、大げさな言い方をするんだな」

 美人局だってもう少しオブラートに包んだ言い方をするだろう。何故って、男の期待を煽る方が効果的だからだ。こんな馬鹿正直な言葉、真に受ける方が珍しい。
 だが、俺の試すような言葉に、彼女は微笑みだけで応じた。俺の本心などお見通しと言わんばかりに。

 正直に告白しよ
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