○
アイス ここあ
○
シュゴーっと電気ケトルが雄叫びを上げる。手早くお湯を沸かすにはこれ以上なく優秀な道具だが、ウチのは少々やかましい。替え時というやつかも知れないが、騒音に目を瞑れば十分に役立ってるのでいまいち手が出ないのだ。
「便利だね」
背後のカオルが関心した風な声を上げる。帽子とカーディガンを脱いだ彼女は今、俺のベッドに腰かけていた。どこに背を預けるでもなく、ベッドのヘリに手をつけ、所在無げに脚を遊ばせている。
(なんでベッドに座るかね……この子)
落ちついた声や振る舞いからして隙の無さを思わせるくせに、どうにも警戒心皆無な態度だ。素っ裸で立ち尽くしたり、胸チラさせながら髪を乾かしたり。今だって、肩を押してしまえばそのままインザベッドである。
(誘ってる、のか?)
桃色妄想まで湧いて出る始末だ。これはいけない。
立ち上がり、コップの用意をするついでに何か軽く摘まむものでもないかと台所を伺う。一通り漁るがものの見事に何もなかった。冷蔵庫が空な時点で予想はしていたけども。とりあえず砂糖と氷は確保。
「せめて牛乳でもあればな……」
「牛乳があると良いの?」
「うぉ」
いきなりの声にびくりとする。いつの間にか、カオルがすぐ後ろに立っていた。音も立てずにというわけではなく、俺がちょっと散漫なのだろう。美少女が家に居て平静を保てるはずがありません。
「いや、何ていうか、ココアがね。ミルクで作ったほうが美味しいっていうか、混ぜてもいいんだけど」
「へえ。ミルクね」
近い。距離が。
ここまで寄ってみて初めてわかる。カオルの瞳は、どちらも微妙に違う色をしていた。いわゆるオッドアイ。黒を基調として、それぞれ別の色味が混じっている。やはり日本生まれではないのだろうか。いよいよ聞いてみても良いような気がしてきた。
何でか、じっと見つめてしまう。
カオルの瞳が鏡のように俺の姿を映していた。
眠り込む寸前の吸い込まれるような感覚が膨れ上がってくる。
そしてあの匂いが、どこからか漂って……、
パチン
電気ケトルが音を鳴らした。お湯の沸いた合図だ。
その音で我に返った。
「あ、っと」
何のために立ち上がったのか忘れるところだった。カオルから目を背け、食器棚に手を伸ばす。
ガラスコップ2つ、スプーン1つ、計量カップ1つ。台所下の棚からは純ココアの袋を取り出す。実家から送られてきたやつで、幸いにもまだ期限内であった。
定められた分量で純ココアと砂糖をお湯で混ぜ合わせる。カオルはその動作を、俺のすぐ横から覗き込んでいた。相も変わらず、何を考えているのかよく分からない表情だ。
混ぜ合わせて出来たシロップを氷と水で割り、完成である。
「ほい。どうぞ」
コップを差し出すと、カオルは物珍しそうに目をパチパチさせた。おずおずと、両手で受け取る。
手が軽く触れあったくらいでドギマギなんてしないが、自分より一回り小さい指に胸がざわつく。まだ子供じゃないかと、現実をつきつけられたような気さえした。居間に戻り、テーブルに並んで座ると、自分より頭一つ低い座高も気になってくる。
自分のしでかしている状況がどんなかを改めて考えた。やっぱダメだろこれ、と、じわじわした焦りが湧く。ホント今更だな……。成人しているようには見えないし、未成年に手を出したら危険が危ない。
(つっても「これ飲んだら帰れよ」ってさすがに感じ悪すぎだよな。なんか適当なとこに出かけて、そのまま送ってく方向で行くか……?)
適当なとこ。近場でいえば、ショッピングモールだろうか。お詫び的なあれと言いながら服の1つでも買ってあげればナイスな気がする。まだそれくらいなら健全なお付き合いで済むだろう。
そうして物思いにふけっていたせいで、カオルが何やら動いたのを見逃していた。
彼女はコップをテーブルに置くと、体格のわりに結構な主張を放つ尻を突きだした体勢で、のそのそとクローゼットを引き開けた。中に手を伸ばし、何やら掴んで引っ張り出す。
俺が気づいたのは、なんかゴソゴソしてんな、と視線を左後方に流したときだった。
「……なにそれ」
「色は私の趣味じゃない。母さんが勝手に買ってきちゃって」
いや色でなく。
ちょっと気恥ずかしそうな、初めて見る顔で、カオルが手に握っていたのはビビッドピンクな旅行鞄だった。ボックスフレーム型のキャリーケース。サイズは4kgほどだろうか。俺の家には存在しなかったものだ。当たり前だが。
鞄のファスナーを開けるカオルの姿を見ていて、ぼんやりしていた俺にぴしゃりと天啓がひらめく。
「家出……? え? 家出?」
よもやである。
旅行鞄+未成年=家出 という極めてシンプルなロジック。
すさまじくベタな展開だった。
○
え
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