冬吉(とうきち)は落胆した。
猛吹雪の山中。視界は雪に完全に塞がれ、自分の手すらよく見えない。
しかし、顔を上げると視線の先には暖かな光が見える。冬吉はそれを見て落胆したのだ。
彼にとって、その光――小さな山小屋の窓から漏れる灯り――は、希望ではなく、絶望の象徴であった。
「おかえりなさい」
女の声がする。その声は嬉しそうだったが、この山のような冷たい印象を与える。
彼にとっては聞き覚えのある、しかし、今最も聞きたくない声だった。
小屋の入り口である扉の前に、一人の女が立っていた。
冬吉が頭を上げ、彼女の顔を見ると、彼女は柔らかく微笑んだ。
雪を思わせる真っ白な着物。同じく真っ白で綺麗な髪。人間ではあり得ない色なのに、着物の白と合う薄青い肌。
彼が小さい頃、親から聞かされた通りの姿……雪女であった。
「風花(ふうか)……」
冬吉は、目の前の彼女の名を呼んだ。
「何故、俺を帰らせてくれない……」
寒さと飢えで、声が力なく震える。
「そんな場所にいては、凍えてしまいますわ。お話は後で聞きますから。さあ、中にお入りください」
そう言うと、扉をゆっくりと開けた。木がきしむ音がする。
中を覗くと、小屋の中央に囲炉裏があり、その上では鍋が湯気を立て煮えていた。
「帰ってくる頃合だと思っておりましたから、ご飯をご用意して待っておりました」
風花に導かれるままに、小屋の中に入る冬吉。
敷居をまたぐ瞬間に、大きくため息をついた。
――また、ここに戻ってきてしまった。
冬吉が初めてこの小屋にやって来たのは、二週間ほど前である。
この山は、冬になると氷の魔法石が取れることで有名であり、毎年何人もの人間が、命がけで登りにやって来る。
彼も、そんな命知らずの一人であった。
分厚い藁を着込み、山を登ること半日。魔法石が取れる場所までもう少しという所で、吹雪に襲われた。
方向が分からず、しかしいつ止むか分からない以上、その場で立ち往生するわけにも行かない。
一歩一歩、方向を確かめながら前に歩き続けた。
何時間か経ち、意識が朦朧とし始めた頃。目の前に、柔らかい灯りが現れた。
――山小屋だ……
彼は助けを求め、その扉を開けた。それが、冬吉と風花の出会いである。
「嬉しいですわ。また私の所に戻っていただけて……」
茶碗にご飯を盛りながら、風花は言った。
頬を赤く染めて、恥ずかしそうに俯いている。しかし、瞳はこみ上げる嬉しさに輝いている。
対する冬吉も、同じく俯いていたが、こみ上げる感情は彼女と真逆であった。
これまで三度、この山小屋から、この冬山から脱出を図ったが、ことごとく失敗した。
半刻も歩けば、吹雪に視界を奪われ、気がついたら山小屋の前に居る。
二度目の脱出の時は、吹雪の中、立ち止まって一歩も動かないでいた。
しかし、吹雪が明けると、目の前にはこの山小屋が建っていたのである。
二週間前のあの日。一夜限りと宿を借りたあの日。
あの時から、彼女の様子は少しおかしかった。
「あの、近いんですけど……」
冬吉は戸惑いながら言った。
初めて会った間柄であるので、囲炉裏を挟んで対面するのが普通であろう。
しかし、風花は彼の肩に、ぴったりと自分の肩を寄せてきた。二人の食器もぴったり寄り添っている。
「その……私寒がりですから。なるべく人の近くに居たいんです」
「は、はぁ……」
よく分からない答えをする彼女であったが、彼はとりあえずうなずくしかなかった。
何しろ、こんな山奥に暮らしている魔物である。人間の常識が通用する相手ではない。
何とはなしに彼女の方に顔を向けていた彼であったが、ふと顔を赤く染めると、慌てて目をそらした。
彼女の瞳を覗き込むと、何か狂おしいほどの情念が、欲望の炎が、めらめらと燃え上がる感覚がして、怖くなったのだ。
人間ではありえないほど、青ざめた肌であったが、彼女はとても綺麗だった。
いや、むしろ、人間でないからこそ、人間離れした美しさでいられるのだろう。
目の前の白米を噛み、温かい野菜汁を啜りながら、彼は左肩に彼女の体温を感じていた。
氷のように冷たい。彼の体温がどんどん吸い取られていく。
「ああ、暖かい……そういえば、冬吉様は、雪女を見ても驚かれないのですね」
彼女はそう言いながら、白米を口に運んだ。口内で吐息を浴びた米はたちどころに凍り、噛むたびにしゃくしゃくという音がする。
「え、ええ。ここに居る雪女は、人を襲ったりしない、怖くない魔物だ。と聞いていますから」
「あら、そうですか。それは嬉しいですわ」
彼女は微笑んだ。
横目で彼女の顔を見た冬吉は、それを見てまた急いで目をそらした。彼女の笑顔は、雪の中で育った儚げな一本の花を思わせた。
彼の故郷
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