淫魔お試し

 思い返す。
――雪乃はいつから、俺をあんな瞳で見るようになったのだろう。

 小学生の頃を思い出す。俺と彼女は家が隣同士で、朝の集団登校は同じ班に属していた。班内で同学年は二人だけだったため、自然と毎日仲良くしゃべりながら登校していた記憶がある。
 だが、それは低学年まで。三年、四年になるにつれ、小学生特有の異性と一緒にいることの恥ずかしさに目覚める。やがて、俺たちの朝は横並びから縦並びになり、口を利くことはなくなった。

 中学生の頃を思い出す。俺は運動部に所属し、毎日朝の練習のために、その他の生徒よりも何時間も早く起き、登校していた。雪乃は文化部で放課後にしか活動がないこともあり、顔を合わせるのすら稀になった。
 あの頃の俺は、自分で考え直しても確信できるくらい、異性にモテていた。一週間に一回は告白を受けていたし、女子生徒が俺を目を輝かせて見つめていることに慣れきっていた。
 だが、それも二年生まで。三年生になったとき、入部した新入生が話題と俺のポジションを無慈悲に奪っていった。俺は盤石だったはずのレギュラーから落ち、挫折を味わった。そのときに理解した。彼女たちは『レギュラー』の俺を見ていただけであって、俺自身を見ていなかったのだと。
 思い出した。雪乃の視線に気付いたのは、あの頃だった。他の異性が俺を見なくなったのに、彼女だけが俺を見続けていたのだ。あのときは、自分を突き放した俺を心の中で嘲笑っているのか、と考えていた。

「れるっ……んっちゅぅ……ああ、りゅうくん……」
 彼女が、竜己という俺の名を、仲が良かった頃と同じあだ名で呼ぶ。
 あのときの彼女の瞳は、今こうやって俺の唇を奪い、頬を染め、それでもまぶたを閉じず俺の目を見つめているときと、全く同じであった。底が見えず、吸い込まれるようだ。以前テレビで見たベリーズ・バリアリーフのブルーホールを思い起こさせた。
「りゅうくん、好きだよ、大好きだよ……」
 今まで告白してきたどの女よりも、情熱的で、直接的に愛を伝えてくる。だが、俺の心は燃えることがなく、今もこうやって過去を思い返し、分析するばかり。
 中学のときまでの俺だったら、その言葉を受け入れられただろう。自分は異性に好かれるという自覚も自信もあったし、告白されるという行為自体が、ごくありふれた日常であったからだ。
 しかし、今はどうだ。挫折をした後の俺はどうだ。部活を辞め、何も考えることなく中学生を終え、何となく受けた高校に入学し、友人もできず、かといって学校をやめる決心もつかず、出席日数ギリギリを渡り歩き、後は家に籠る。他人にとっては、いてもいなくてもどちらでもいい存在。そんな俺に、なぜ彼女はこうも好意を寄せるのか。理由が分からなかった。
「ずっとずっと、好きだった。れるっ、ずぅっと、りゅうくんとこうしたかった」
――今の俺は、あの頃とは全然違う。
 そう叫びたかった。しかし、何故か声は出ない。彼女に舌を吸われ、その痺れが取れないのだ。
 今の姿を見て、彼女はまだ俺を好きと言えるのはなぜだ。運動をやめ、ストレスを発散するには暴食をするしかない俺は、かつての頃よりも劇的に体重が増えてしまっている。もう肥満といっていい体型になってしまっている。
「ちゅっ、ちゅっ……ううん、りゅうくんは何も変わってないよ。姿しか見ていない、肩書しか見ていない他の女とは違う。私は、ずっと、どんなことがあっても、りゅうくんだけ見てたから、中身が、魂が、何も変わってないのが分かるから」
 俺の心を見透かしたかのように、彼女が言う。そういえば、彼女は何度も、俺の言いたいことを、口にする前に理解していた。
「分かるよ。私はりゅうくんのこと、何でも知ってる」
 俺の体を抱きしめた。甘いミルクのような香りと、暖かな体温に包まれる。
「ふぅ……りゅうくんの体、あったかい」
 息を大きく吐き出し、喉を鳴らしながら、彼女は俺の顔に頬ずりする。
「うふっ、りゅうくんの頬、ざらざらぞりぞりするね」
 そう言いながらも、彼女の声色は嬉しそうだ。
「すまん。もう何日も髭を剃ってないから」
 彼女が顔を離し、また相対するように彼女が視線を向ける。
「ううん、気にしなくてもいいよ。今のりゅうくん、ワイルドで素敵」
 頬を染め、うっとりとつぶやく。まっすぐな眼差しで見つめられ、こちらの顔まで赤くなってしまう。
――それにしても……。
 先ほどまではファーストキスの衝撃でまともに彼女の顔を見られなかったが、今はある程度冷静に彼女の表情を眺めることができる。
――雪乃って、こんなに美人だったか?
 黒い髪。手入れをきちんと行っているのか、癖がなく艶めいており、背中まで届くロング。
 雪という字にふさわしく、色白できめ細やかな肌。化粧には詳しくないが、高校生にも関わらず
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