デレ蛇

 ラエルは、今自分の身に起こっていることが、とても現実だとは思えなかった。
――確かに、こんな風になりたいと思ったのは一度や二度ではないけど。
 背中には柔らかな綿の感触。腹や胸には、女体の弾力が伝わってきていた。そして眼前に、いつもとは違う彼女の顔。
 藍色の瞳は潤み、眉が寄せられ、何か耐え難いものが襲い掛かっているような表情を浮かべている。二人の指はしっかりと絡ませられ、すがりつくように彼の手はぎゅっとにぎられていた。彼の足は、彼女のエメラルドを思わせる、緑の鱗を持つ蛇身に巻きつかれ、ばたつかせることすらできない。
 いつもは、不意に体に触れただけで、小言を言って体を引っ込めてしまう。そんな彼女では考えられない行動だと、彼は思った。
 しかし、彼女の甘い体臭、全身を包む柔らかな感触、そして首筋や顔に擦り寄ってくる彼女の髪の蛇の鱗の滑らかさが、これが現実の出来事であり、今自分の前にいるのが本物のメドゥーサ……ヘリシアであると彼を確信させた。

 ◆ ◆ ◆

 二人が出会ったのは半年前。雪が溶け、山菜や冬眠を終えた動物たちが土から顔を出す頃であった。そういった出来立ての山菜を取ろうと山に登ったラエルは、突然の雨に降られ、近くにあった洞穴へ雨宿りのために入った。洞穴というのは、野生動物や、ある意味それらよりも危険である魔物娘の住処になっていることが多い。しかし、背に腹は代えられなかった。新芽が芽吹き始めたばかりの木々では、雨を防ぎきれずに体が濡れてしまうだろう。しかし、帰りを急いで山を下っては、ぬかるんだ地面に足を取られ、怪我をする可能性もあった。
 始め、彼は入り口のすぐそばで雨をしのいでいたが、しぶとく残っていた冬の空気が、彼の濡れた体を容赦なく襲う。仕方なく、彼は洞穴のさらに奥へと身を沈めることにした。
 一歩二歩、徐々に弱まっていく冷気を感じながら、彼は洞穴を進む。背中に刺さる冷気が完全になくなったところで、彼はため息をつき、腰を下ろした。自分の横に、背負っていた山菜入りのカゴを置く。そして、腰に吊るした袋から、握りこぶし程の大きさの石を取り出した。
 地面に置いた石、その上面には絵とも文字ともつかぬ記号が描かれている。ラエルが短く言葉を発し、石を両手で包むと、記号が描かれた面から炎が現れた。熱を発し、彼と周囲の空気を暖める。
 雨に濡れた服を脱ぎ、雨の水分を絞って落とす。板のように広がる洞穴の岩に服を乗せると、洞穴の奥から物音がした。
 ビクリと体を震わせ、彼が音のした方向を見る。同時に、腰に吊るしたホルスターからナイフを取り出した。カタカタと、ナイフの先端が震える。
――誰、いや、何が?も、もし、熊だったら……
 冬眠明けの熊は飢えており、凶暴である。とてもナイフ一本では太刀打ちできない。恐怖で彼の全身から大量の汗が湧き出る。口内が渇き、ひゅうと笛のように彼の喉が鳴った。
「誰?」
 闇の中から声がした。ラエルは思わずため息を漏らし、全身の緊張が緩んだ。相手が魔物娘であることを理解したからだ。彼女たちならば、食べられる心配はない。
「せっかく気持ちよく眠っていたのに……邪魔をするお馬鹿さんは誰かしら」
 恨みが篭った声である。彼の額から一筋、先ほど引いたばかりの汗がまた垂れた。彼女の声と共に、空気の振動する音が漏れ出てくる。
 何か重いものを引きずる音を携え、相手のシルエットが浮かんできた。上半身は人間の少女とほぼ同じであった。ここでの生活が長いからであろう、日焼けを全くしていない白い肌。大事な部分を、緑色の布で隠している。髪の毛はツーテールに束ねており、先端が緑色の蛇に変化していた。空気の振動音は、それらが発する声であったのだ。下半身は打って変わって、蛇そのものだった。布や髪の毛と同じく緑色で、湿気が多い環境のため、鱗がしっとりと濡れ、きらきらと輝いて見えた。
 彼女の顔は、コーヒーを煮詰めたように苦い表情を浮かべていた。
「男……裸?」
 さっと、彼女の表情が驚愕に変わる。しかし、次の瞬間、また元の苦い顔に戻っていた。
「え?……あ!」
 彼女のつぶやきを聞いて、彼は今自分が上半身裸であることを思い出した。
「すいません!すぐ服を着ますから!」
 慌てて、彼は岩の上で乾かしていた服をつかもうとする。
「別に、そんなに慌てなくていいわよ。そんなの見せられても別に興奮なんてしないから」
 髪の毛の蛇たちが、ラエルの体をジロジロと覗く。
「それはいいとして、あんたは、何でこんなところにいるのかしら」
「あ、い、いや……」
 じとっと粘りつくような視線を受け、ラエルは返答に困った。この山の麓にある町は、魔物娘に割りと寛容な場所である。その町の出身である彼は、ある程度魔物娘に関する知識を持っていた。なので、今目の前にして
[3]次へ
ページ移動[1 2 3 4 5 6..8]
[7]TOP
[0]投票 [*]感想
まろやか投稿小説ぐれーと Ver2.33