前の忍法帖

「暗殺」
 上司である中忍からこの言葉を聞いた瞬間、梅花の体を流れるクノイチの血が、緊張と歓喜で静かに滾った。
「相手は熱中藩藩主の地熱水力(ちねつ すいりき)」
 ジパング南方の暖かい地域には、熱前、熱中、熱後という三つの藩がある。
「熱前、熱後は、はるか昔、我々クノイチが誕生する頃から、魔物娘に協力していただいておる」
 しかし、それら親魔物である藩に挟まれる形となっているにも関わらず、熱中藩は頑なに反魔物の立場を覆さないでいた。
「梅花、お前の任務は、水力の召抱えとして熱中城に入り込み、彼を暗殺することである」
「召抱え、ですか」
 つまり、藩主の信頼を得て、堂々と側にいられる立場になれということである。
「近々、熱中城で御前試合がある」
 ここでようやく、梅花はなぜ自分が暗殺任務に選ばれたのか察しがついた。
 外の者たちは、彼女たちを『忍者』『クノイチ』とまとめて呼ぶが、実際はそう易々とひとくくりにできるものではない。
 忍者らしく潜伏、潜入などを専門にする者もいるし、今梅花の目の前にいる中忍のように自分は任務に入らず、的確に指示を送る者もいる。そして、梅花のように、忍法よりも剣術に重きを置くクノイチも存在するのだ。
「御前試合に勝ち残り、水力の信頼を勝ち得なければ、この任務を成功させることができない。分かったな?」
「はっ!」
 額を床にすりつけると、梅花は跳躍。彼女の真後ろに開かれていた窓から、夜の街へと消えていった。

 地熱水力は、優れた剣術を見るのが好きである。
 彼はかねてから剣術振興に力を入れており、道場はジパング随一の数を誇っている。
 そんな彼の唯一と言ってもいい楽しみが、御前試合である。半年に一度開かれるこの試合には、藩の中でも選りすぐりの精鋭たちが、藩主の御眼鏡に適おうと腕を振るうのである。
 参加者はまず、試合会場である城の中庭の入り口で、台帳に名前を書く。
 黒大津訓家。雪見大伏。能見砲台……いずれも藩内では名の知らぬものはいないほどの有名人ばかりである。
 しかし、そんな剣豪たちにまぎれて一人、誰も素性を知らない者が現れた。
 他の者は御前試合にふさわしい筋骨隆々の者ばかりだが、彼は剣を満足に振ることすら信じられないほど、細い体つきをしていた。
 花山梅ノ丈。彼は台帳にそう記した。

 御前試合は予選と本戦に分けられた。優勝した者は藩主のお抱え侍になれるというだけあって、参加者が多かったためである。
 予選は、力を試すものと、技を試すもの二つ用意された。両方で合格しないと、本戦に進むことはできない。
 まずは力の試練。筒状に丸められた湿った畳を縦に五つ積んだものを、一番下まで刀で切り落とすことができれば合格である。
 現在では居合いの披露で使われるものであるが、元々は人間の胴体の代わりとして使われたものである。濡れた畳を斬る感触が、人間を斬ったときに似ていることから用いられるようになった。そして、刀の切れ味を調べる指標として『胴切り』というものがある。これは斬首された罪人の死体を積み上げ、一度に何人まで斬れるかを見ることによって、切れ味を調べる方法である。二つ斬れれば二つ胴、三つ斬れれば三つ胴。史実としては、七つ胴が最高である。
 選手には己の刀ではなく、藩が用意した刀で試し切りをしてもらう。これは各々が持つ刀の性能による不平等を廃すためである。配られる刀はどれも切れ味がほぼ同じであり、そのため純粋に己の腕と力によってのみ、優劣をつけることができる。
 やはり力でもって五つ胴を達成するのは至難の業であった。初め百人はいたであろう参加者が、力の試練によって一気に十五人に激減した。合格者は名だたる剣豪ばかりであったが、その中に一人、箸すら満足に持てなさそうな優男がいたため、審査員たちは動揺を隠せなかった。花山梅ノ丈である。
 予選の二つ目は、技の試練。術師が念力で飛ばす蜜柑を、地面に落ちるまでに十個中何個両断できるかを競うものである。合格点は決められていないが、上位何人かが本戦に選ばれることとなっている。
 術師と蜜柑という組み合わせは、元をたどれば平安時代の安倍晴明までさかのぼることができる。好敵手であった芦屋道満との御前試合。最終種目である、箱の中身の透視のとき、道満はあらかじめ中身が蜜柑十五個であるという情報を得ていた。しかし清明が出した回答は鼠十五匹。箱を開けると、確かに鼠が十五匹飛び出してきた。清明は道満のイカサマに気付いており、術を用いて蜜柑を鼠に変えたのである。
 上記の伝説はこちらの世界の話であり、この物語の世界とは異なるのだが、この藩で一番主流の流派が古くから、念力の訓練として蜜柑を用いている。
 速さを変え、軌道を変え、地を這う蛇がそのまま宙に浮くがごとく飛んでくる蜜柑を、十
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