結婚は人生の墓場という言葉がある。
他人と人生の大半を共にし、互いに束縛しあう関係であるということを揶揄したものである。
私はつい最近まで、この標語の熱心な信奉者であった。私は昔から一人で過ごす方が得意であったし、好きだったからだ。
だが、先ほどの言葉を借りるなら、その墓場というものに足を突っ込まざるを得なくなってしまった。
「魔界性睾丸肥大症ですね」
恥を忍んで向かった泌尿器科で、医者からそう宣告された。
魔界性睾丸肥大症。この世界が、人ならざる者たちが存在する世界とつながってから数十年。その間に生まれた新たな病である。
向こうの世界は、こちらの世界で言う中世と同等の科学力そして文明であったのだが、それを補って余りあるほど、魔法が発展していた。どうやら、こちらの世界には存在しない、目に見えない『魔力』と呼ばれるものが満ちているかららしい。
そして、二つの世界がつながると同時に、こちらの世界へその魔力が流れ込んできた。未知の物質が突然大量に入り込んでくることにより、様々な異変が起こるようになった。その内の一つが、新型の病である。
魔界性睾丸肥大症とは、濃厚な魔力が向こうの世界の住人にとって最も重要な存在である『精』と結びついて起こる病気である。当然、男が精を作っているのは睾丸であるため、そこに異常が現れるのだ。
その異常とは、病名の通り睾丸の肥大化である。日常生活が満足に行えなくなるほど睾丸が大きくなり、ついに痛みに耐えかね、私はこの病院の門を叩いたのだ。
ある程度予想の付いた医者の回答であったが、私はいまだ衝撃から覚められずにいた。
目の前の医者に言われるまでもなく、この病気の治療法は知っている。
「溜まった精を、吐き出さないといけないですな」
「いらっしゃいませ」
『市営結婚相談所』という、ありふれた書体のシールが貼られた自動ドアをくぐると、カウンターに座っている受付嬢が笑顔で出迎えた。絶妙なカーブを描き頭から伸びる二本の角を隠しもせず、堂々とさらしている彼女に、私は清々しさと、さらに神々しささえ覚えた。彼女はサキュバスであった。
「こちらのお席へどうぞ」
彼女の手の先に導かれるまま、私はたどたどしい足取りで彼女の目の前の椅子に腰掛ける。新築特有の、建材の匂い。
辺りを見渡したが、自分以外の客も、彼女以外の社員も、視界には入らなかった。声が聞こえるのみ。
各テーブルはパーティションで仕切られており、半個室となっていた。パーティションは、曇りガラスのようにザラザラとした見た目の透明なプラスチックで出来ていた。隣に座る客の黒赤のシルエットを映すだけである。
「本日はどのようなご用件でしょうか」
営業職らしい、柔らかな声が私の体をなでた。制服にラッピングされながらも、自己主張するように豊満なバストが揺れる。左胸には『平井小夢』と書かれたバッジをつけていた。それが彼女の名前なのだろう。
「あ、ああ……お見合い相手を、探しにきたんですが……」
額に脂汗をにじませ、時折走る痛みをこらえながら、何とか言い切った。
医者の残酷な宣告から二日経ち、睾丸のふくらみがさらに大きくなっていた。痛みと圧迫のせいで、今はがに股でないと歩けないほどだ。
受付嬢はそういった客を何人も相手にしているらしく、営業スマイルを崩すことなく応対を続けた。
「でしたら、こちらはいかがでしょうか」
彼女は失礼しますとつぶやきながら、足元の引き出しから一冊のファイルを取り出す。斜め前にかがむその仕草は、制服のブラウスの胸元があらわになりそうで、清楚な服装でありながら隠しきれない魔の性的魅力にあふれていた。魔物娘という存在は、ごく自然な動作ですら、たまらない劣情を男に呼び起こさせる天性の才を持っている。
彼女がデスクに載せたのは、薄い紫色のファイルであった。あらかじめ決められたビニールのページに、紙を挿し入れるタイプである。表紙の右上隅に、小さく『魔』という字が丸印に囲まれて書かれていた。どうやら、彼女はすでに私がどういう状態なのかを察しているらしい。
魔界性睾丸肥大症は、魔物娘との性交でしか治療できないのだ。
どうぞ。と心なしか声が艶っぽさを増したような気がする彼女の声に従うまま、ファイルを開いた。
息を呑んだ。
A4のどこにでもあるコピー用紙に印刷された、お見合い相手募集中の魔物娘。彼女たちは、こちらの世界の人間女では見たことがないほど、絶世の美女だらけであった。
――こんな美人が余る時代になったのか。
世の中の流れに疎い私は、驚きの余り口を閉じるのを忘れ、写真に見入ってしまった。
しかし数瞬後、忘我の彼方から意識が返った。この中から、私はお見合い相手そして結婚相手を探さなくてはならない。
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