以心伝心

 ニコラは、ベッドサイドテーブルの上に乗っている髪飾りを見つめていた。
 目覚めたばかりでぼやけた視界と思考に、朝日を受けて照りつける桃色の光が、容赦なく突き刺さり、彼は目を細めた。
 ベッドの縁に腰掛けたまま、しばし思案する。
――やっぱり、何度見てもこれはどうも……恥ずかしい。
 しかし、彼にはこの髪飾りを付けないという選択肢は存在しない。しばしの逡巡の後、彼は諦めたようにため息をつき、ゆっくりとした手つきで、それを右の側頭部の髪に挟み込んだ。
『起きたよ』
 頭の中で言葉を思い浮かべた。それにすかさず、別の声が答える。
『ずいぶんと、遅かったじゃない』
 不機嫌な女性の声。
『ごめん、ソフィ。布団があんまりにぬくぬくで。つい二度寝を……』
『言い訳できる立場なのかしら』
 ソフィと呼ばれた女性の声が、さらに不機嫌さを増す。
『まあいいわ。遅れた分は今日の仕事の誠意で見せてもらうから』
 ため息をつきつつ、彼女が言う。
『あー……今日は野菜だっけ?』
 ニコラが目線を上げ、髪飾りを人差し指で抑えつつ、思い出すように答える。
 ベッドから立ち上がり、彼は流し場に向かった。
『そうよ。にんじんが欲しいわ。あとはたまねぎ、ピーマン、かぼちゃ……』
 彼の返事を聞かず、彼女は流れるように欲しい野菜とその数をしゃべり始めた。ニコラは、顔を洗い、歯を磨きながら、一回しか言わない買い物指令を平然と暗記していく。彼は何度も行っていることなので、すっかり慣れてしまっていた。
『わかった。それじゃあ行ってくるよ』
 身だしなみを整え、出かけるための服に着替えると、玄関扉を開けつつ彼が言った。
『なるべく早く来なさいよ』
 ソフィがそう言うと、それ以降彼女の声は彼の脳内には届かなくなった。

――やっぱり恥ずかしい。
 ニコラは市場で目当てのものを探しつつそう思った。
 彼の髪の毛の間で光る髪飾り。それはシルバーでできており、花を模した意匠の中央に、桃色の宝石が埋め込まれていた。
 家を出る前に、ソフィと互いの顔を見ずに会話ができたのはこの髪飾りのおかげである。埋め込まれた宝石は魔力を固めたもので、おそろいのもう一つの髪飾りをつけている者と、電話のように通話することが可能となるマジックアイテムである。
――全く、緑と桃の二種類だったのに、ソフィが緑を取っちゃうから。
 元々女性向けの華やかなものであったが、色によって余計に女性っぽさが増してしまっていると彼は思っていた。
――その上、緑は先にソフィが取っちゃうし。
「蛇といえば緑だから、こっちは私のね」
 と、彼の返事も聞かずに緑を選んだ彼女の声が思い起こされる。それと同時に、彼の買出しを待っているであろう、彼女の姿が頭に浮かんできた。
 光に透かすと暗い緑になる、海草を思わせる黒髪。その間には、彼と同じ形で、花の中央に鮮やかな翡翠色の宝石が埋め込まれた髪飾りが光る。簡素なワインレッドの紐でまとめられたツインテールの先は、髪よりも少し緑が濃くなった、黒緑の蛇たち。
 知性と鋭さを感じさせる、つり上がった目。その中央には、縦に切り裂かれたような瞳孔を持つ、深緑と黄色の混じった瞳。
 ほっそりとした首。さらされた鎖骨。上半身は、蛇の鱗と蛇の瞳があしらわれたチューブトップ一枚。それに隠された、慎ましい胸。年中この格好なため、へそが出っ放しで風邪をひいたりお腹を壊したりはしないのだろうかと、彼はいつも心配している。
 彼の胸から下をぴったりと隙間なく巻ける程度の蛇の下半身。苔を思わせる、深みのあるグリーンの鱗。尻尾の先端は、彼女の恐ろしい石化能力を思い出させる、灰と黒の硬い素材に覆われている。
 上半身と下半身、別の生物の特徴を組み合わせたその境目は、砂漠の砂を思わせる、くすんだ黄色の布で隠されていた。
 以上が、これから出会う、彼をこき使っているメドゥーサ、ソフィの姿である。

「やあ、買って来たよ」
 お昼時。市場で目的のものを買ってきたニコラは、緩やかな山道を三十分ほどかけて登り、彼女の住む小屋にたどり着いた。
「遅いじゃない。もうお昼よ」
 殺風景な小屋の中央、ござが敷かれ、座椅子に座ったソフィが言った。テーブルに載ったカップを持ち上げ、中のコーヒーに口をつける。
「昼ごはんにはちょうどいいんじゃないか?」
 彼がふふっと笑いながらうそぶく。
「ふん、そんな言い訳しても通用しないんだからね」
 ぷいと彼女がそっぽを向いた。
「あれ、俺の分もあるのか」
 そんな不機嫌な彼女の様子を気にすることなく、彼は机の上に目を向けた。彼女がさっき飲んでいたコーヒーのカップ。テーブルの中央に置かれたポットを挟むように、手前にもう一つカップが置いてあった。
「ちょっと、作りすぎちゃったのよ」
 体勢を変えないまま
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