あたしは母さまが嫌いだ。
「まったくお前は、こんな簡単な作業に何時間かけるつもりだ。まるで陸亀が服を着て歩いているような男だな」
愛すべき夫にいつもいつも横柄で傲慢な母さまが嫌いだ。
あたしは父さまが嫌いだ。
「あははは・・・・・・。いやあ、その、お嬢さま・・・・・・、面目ないです」
邪険に扱われようと言い返せず、へらへら笑ってばかりいる父さまが嫌いだ。
その日の夕食も苦痛だった。今日も今日とて母さまは、卓を挟んで八つ当たりのようにお小言を投げつけていた。あたしは冷めた目と心でもってそれを聞き流しながら、トマトジュースと胸の中のドロドロしたものを飲み下していた。
だが今日は、運悪いことに矛先があたしにまで向いた。
「ヘレナも気をつけろ。我々貴族にとって、夫とは最も重要な選択。頼むからお前は私のように、うだつの上がらないダメ亭主を捕まえてくれるなよ」
「あ、あははは・・・・・・」
ぴしり――という、ひびの割れる感覚がした。ジュースのグラスか、あるいは胸中か。
「・・・・・・ぅ、・・・・・・ぃゃ――」
だからあたしは、うつむいたまま呟いた。聞き取れなかった母さまが、怪訝な顔でこちらを向いた。
「――もう、うんざりなのよ。くだらない母さまも、みっともない父さまも」
年端も行かぬ小娘に反抗されていることに、そこでようやく母さまも気付いたらしい。顔を赤くして、椅子を蹴立てて大声をあげる。
「母親に向かってその口の利き方は何だ! お前は――」
「黙りなさい」
ぴしゃりと、まるで判を押したように静かになった。見れば母さまが、自分の喉を押さえながら金魚みたいにぱくぱくしている。
「・・・・・・? ・・・・・・ッ!?」
声にならない息を吐き出しながら、母さまは信じられないものを見るようにあたしに怯えていた。一方父さまは、どうしたらいいかわからずいつも通りあたふたしている。
「今まで我慢してきたけど、もう限界。もう辛抱できないの、母さまにも父さまにも・・・・・・。あ、もう喋っていいよ」
その間にもあたしは悠々と、慌てる母さまの眼前に歩み寄る。母さまの視線が徐々に、混乱から敵意を含んだものに変わっていく。
「ぷはっ・・・・・・。ヘレナお前、まさか、ダンピー・・・・・・――くっ!」
分が悪いと判断したか、ドレスを翻し母さまは一目散にダイニングから脱出を試みる。
だが、扉に手をかけることはできない。いやそれどころか、一歩だって進むことはできなかった。
「か、身体が、うごかな・・・・・・?」
「どこに行くの?」
あたしが燭台から伸びる母さまの影を、ヒールで踏みつけているからだ。それだけで、母さまは指一本動かせなくなったのだ。
「まだ話は済んでないわ。立ち話もなんだし・・・・・・、そうね、母さまも座ってよ――そこの床にね」
顎でしゃくって示すあたしに、さしもの母さまも貴族の矜持の琴線に触れたらしい。並みの魔物なら眼光だけで殺せかねない迫力で、声を荒げた。
「ふっ、ふざけるな! この私を、誰だと思っている! 私は夜の王者、私は――」
「いいから――跪きなさいって言ってるでしょう!」
「――っは、はいぃっ!」
あたしに怒鳴られると、母さまはまるで叱られた子供のような従順さを見せた。これではどちらが母娘か、わかったものじゃない。
「へ、ヘレナ。もうそれくらいで・・・・・・、ロナお嬢さまもそんな――」
「父さまは黙っててっ!」
「――はいっ!」
一喝すると父さまも従った。ちなみにこちらは、ダンピールの魔力とは関係ない。
「嘘だ、嘘だ・・・・・・。こんな、私は・・・・・・」
掃除の行き届いた床にぺたりと座り込んで、母さまは呆然としていた。だが、まだ全然終わりじゃない。あたしは人差し指で、母さまの顎を持ち上げてこちらを向かせる。
「母さま、あたしの目を見て・・・・・・」
「い、イヤだ、ダメだ・・・・・・。ヘレナ、やめてくれ・・・・・・!」
聞く耳など持つわけない。まっすぐ見据えた眼球を通して、あたしはダンピールの特大の魔力を叩きこむ。
「うあああぁぁぁぁっ♪ あぁぁっ、あはぁぁっ♪」
目は口ほどにものを言う。
ヴァンパイアである母さまはあたしの言霊に逆らえないのと同様に、見つめられただけで理性を削るように奪い取られるのだ。魔物の優れた聴覚が、秘所からくちゅりと音が鳴ったのを耳聡く聞き取る。
「触れられてすらいないのに、もう濡らしちゃったの? 母さまったら淫乱」
「や、やめてくれぇっ、み、見ないでくれっ♪ そんな魔力送られながら蔑んだ目で見られたら、わ、わたし――あぁっ♪」
涙で目を潤ませながら身悶える母さま。決して視線を逸らさないまま、優しい口調であたしは語りかける。
「母さまに質問があるの」
「しつ、もん・・・・・・
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