― カンちゃん。
・・・・・・・・・・・・・・・
― 勘介。
・・・・・・・・・・・・・・・
― 勘介さん。
「ん・・・」
「勘介さん」
少し眠っていたようだ。
眼を開くと、板張りの天井。 見慣れた木目。
障子がからりと開き、シマキが座っていた。
襦袢姿。 灯火を持ち、薬壺と竹籠を傍らに置いている。
「眠ってしまったか」
「ごめんなさい、ご飯とお風呂、さきにいただいてしまいました」
表はどうやら夜のようだ。 とっぷりと暗い。
シマキの捧げ持った灯りが、部屋をゆらゆらと照らす。
「いや、仕方ない。 ずいぶん気持ちよく寝てしまった」
「そんな感じでしたよ、ふふ」
ほんとうに、気持ちよく寝ていたような気がする。
昔のことを思い返しながら。
あれは ―
あれは?
「いやあ、面目ない」
「でも、なにかおなかに入れてください」
シマキは竹籠を差し出した。
大ぶりの握り飯が二個入っている。
「おお、これはありがたい」
「お茶もどうぞ、ゆっくり食べて―」
「もふ、むふ、んぐ。 これはうまい」
「まあ、勘介さんったら」
握り飯をおしこみぬるい茶で流しこみ、勘介は一息ついた。
「ふう、うまかった」
「ほんとうに、もう。 いじきたないんですから」
「シマキの飯がうまいのが悪いんだ」
「まあ、お上手。 ・・・起きてください、包帯と薬を」
「おお、頼む」
シマキは勘介のもろ肌を脱がせ、するすると血が固まりついた包帯を解いていく。
その下には無数の傷跡。 だが、いくつかは赤い筋を残すのみとなっている。
「さすがは鎌鼬の薬だ」
「傷をふさいだだけ。 体の中までは癒えていませんからね?」
「ソヨもそう言ってたな。 遠慮せずにしばらく泊めさせてもらう」
ぺたりぺたりと薬を塗っていた手が止まる。
「・・・ ・・・ ・・・」
「・・・シマキ?」
「どういう、意味、ですか」
目を伏せたまま、シマキは問うた。
何かをこらえるような、しぼるような声。
「・・・ ・・・ ・・・」
「・・・勘介さん」
もとより、この期に及んでごまかすつもりなどない。
勘介は肚を据えた。
「むろん、約定を果たしに来たんだ。 あの時のな。
俺は言った。近いうちにかならず、こうしてまた来ると」
「あれから二年近く経ってしまいましたよ」
「・・・すまん」
「何度も、こちらから忍んでやろうかと思ったんですからね。
あなたの言う男の沽券なんか放ってしまって」
― 勘介。 今日はここに来てくれてありがとうな。
― 勘介さん。 ここに来てくれて、ありがとう。 わたし、嬉しかった。
― だから、こんどは。
― だから、次は。
― あたしの方から。
― わたしの方から。
― おまえのとこへ 、行ってやるよ。
― あなたのところへ 、お伺いします ―
― それは駄目だ。 男の沽券にかかわる。
またすぐ、できるだけ近いうちに行く。 待っててくれ ー
シマキはその言葉通り、待った。待ち続けた。
好いた男の、ささやかなつまらぬ意地と誇りを守るため、だけに。
男を知った魔物娘が、二年の歳月を、耐えて待ち続けた。
「まったくすまん。 俺は意気地なしだ。 ・・・甲斐性なしだ」
「もうそれくらいにしてください。 いじけた男の人なんて、見たくないです」
「・・・そうだな。 そうだ」
てのひら
勘介は、その厚い 掌 で、
肩を揉むシマキの冷たい手を、ぐ、と掴んだ。
がばと、体ごと、シマキの方を振り返る。
「シマキ。 俺は、あの日の続きをしに、ここに来た」
熱のこもった声。 もう、後に引けぬ。
「組頭になった。 小さいながら、家も土地も持った。
もう、何も、はばかることはない。俺のところへ来てくれ。
俺のものになって、俺の子を産んでくれ」
シマキの細められた目が、うるんでふくらんでいく。
ああ、なぜ、もっと早くこうしなかったのだろう。
「待っていました。 ずっと、ずっと」
「だが俺は、おまえに、言わねばならぬことがある」
顔が熱くなる。 息が上がる。
それでも息をつぎ、口を動かした。
よどまぬようかまぬよう、一息で言いつくせるように。
「俺は、ソヨに触れた。 ハヤテを抱いた。
そしてふたりともに、嫁にすると言ってしまった」
そう、俺は確かに。 ソヨを口にし、ハヤテを貫いた。
そして嫁にすると言った。 間違いなく。
・・・いつ? どちらに、どう?
先ほどから心に引っかかるなにか
[3]
次へ
ページ移動[1
2 3 4]
[7]
TOP [9]
目次[0]
投票 [*]
感想[#]
メール登録