むかしむかし、とある山の奥深く。
森のわずかな切れ間に小さな畑と小屋をかまえ、
ひとり暮らしている男がいた。
たけぞう
男の名は 武 三 といった。
腕のいい猟師じゃったが人づきあいが苦手で、
月に一度獣の皮をしょって里に下りるほかは
山の中で獣や魚、木の実をとったり、
小さな畑で野菜を作ったりして暮らしておった。
ある、秋の夜のこと。
みのりの季節を迎えた山は、いろんな幸を気前よくめぐんでくれる。
武三は今日も冬じたくにそなえて山を駆けまわり、疲れ切っておった。
いろりにあたってうつら、うつらとしていたところ・・・
”・・・暗い森は、もう嫌じゃ”
武三はぱちりと目を覚ました。
このあたりでは久しく聞いたことのない、若いおなごの声じゃった。
”寒い森も、もう嫌じゃ”
”ひとりの森は、たくさんじゃ”
気づくと目の前に、ひとりのおなごがおった。
年のころは十六、七くらいじゃろうか。
天女のような、ま白い髪と着物の娘。
その娘が、いろりを挟んだ向かい側で座って、歌を歌っておった。
”暗い森はもう嫌じゃ、寒い森ももう嫌じゃ”
”ひとりの森は、たくさんじゃ”
”あたし、あんたのとこがいい”
娘はにやにやと笑いながら歌い続けた。
そのあいだずっと、あやしい目つきで武三をにらみつづけておる。
”あたしは、あんたの家がいい”
”あたし、あんたのそばがいい”
”あたし ―”
その歌を聞くうち、娘の目を見るうち、
武三はなんだかわけがわからなくなり始めた。
床も天井も壁も、目の前のいろりも、ぼんやりかすむ。
娘の声だけが、あたまのなかでわんわん響いた。
・ ・
”あたし、あんたのも のがいい ―”
それきり武三は気を失った。
なにかあついもの、重たいもの、濡れたものが
体をずっと這いまわってるような気がした。
それから毎夜、娘は武三の家に現れた。
そして同じように歌を歌い、同じように笑いかけられ、
同じようにわけがわからなくなってしまう。
そんなことが繰り返されるうちに、武三はみるみるやせおとろえていった。
体に力が入らなくなる。飯ものどを通らない。
武三はこのままではいかんと、なんとか娘を追い出そうと思った。
”かたいものは、もう嫌じゃ”
”つめたいものも、もう嫌じゃ”
”動かんものは、たくさんじゃ ―”
・ ・
”あたし、あんたのも のがいい ―”
しかしやはり、武三は気を失い、なにやらごそごそやられてしまった。
だが、どうにかこうにか、最中の声は聞くことができた。
― ちょっと、やりすぎちゃった・・・
― あと一回だけ。 あと、一回だけ・・・
ほうきぼう
― 法 起 坊 に知られたら、怒られるから・・・
次の朝、昼過ぎに目が覚めた男は、ふらふらと起きあがり、
身支度を整えて山の奥へと向かった。
たしかにあの娘は、法起坊と言っておった。
法起坊は、この山の三つ向こうの山の、ぬしの名前だ。
「法起坊さま。 法起坊さま!」
山の奥の奥、ご神木までたどりついた武三は
ぱんぱんと柏手をうち山のぬし様に呼びかけた。
にわかに空が暗くなり、ざわざわと風が木の葉を揺らす。
「 な ん ぞ 用 か 」
気づくと、黒い鳥のようなおなごが目の前に立っておった。
きらびやかな装束を身にまとい、胸もとには葉団扇をさしておる。
いしづちやま
これがかの大天狗、 石 雷 山 の法起坊。
武三はこのところの出来事を話してみた。
「まったくあやつは」
「なんなのですか、あの娘っこは」
「きのこじゃ」
「きのこ、ですか」
「あやつは野菜をいやがる。
自分の畑から取っておいて、持ち歩いておれ」
武三は法起坊さまに丁重に礼をして、家へと帰った。
その晩、またあの娘が武三の前に現れた。
娘はにやにやと笑って、いろりの向こうでまた歌を歌い始めた。
”これで、おしまい。おしまいよ”
”いままでどうも、ありがとね”
”さみしくなったら、またくるよ”
・ ・
”あたし、あんたのも のがいい ―”
そう言われたところで、武三の気はおさまらん。
武三は気が遠くなるのをこらえ、ふところの野菜をばっと取り出した。
「きゃああああああああっ!!!」
娘はひっくりかえらんばかりにおどろいて悲鳴をあげた。
その声を聞いたとき、ぱっと武三はわれにかえった。
「やめて、やめて! もうそ
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