「ばか、武三さんの、ばか・・・」
「・・・すまん」
おつるはまだ動けぬ武三を、涙をこぼしながらなじった。
白い顔も手も着物も、もう泥だらけじゃった。
「なんで、なんでこんなことを・・・!」
「・・・おっ父とおっ母に、会うたんじゃ」
「え?」
おつるはきょとんとして、聞き返した。
武三の親は武三がまだ小さいころに、父がゆくえ知れずに。
母がそのあと亡くなったと言っとったはずじゃったから。
「・・・おっ父は、山にいったまま、帰ってこんかった。 ずっとずっと。
おっ母はずっとずっと、泣いて泣いて、こういう顔になってしもうた」
武三はおつるの顔をじっと見て、そう言った。
「そんでおっ母は、泣いたまんま、その顔のまんま、冷たくなっとった。
おらは、おっ父をうらんだ。おっ母をこんなに泣かせて、ただじゃおかんと。
目の前におったら、すぐにでもぶち殺してやると、ずっとずっと、思っとった―」
武三はおつるの瞳にうつるおのれをじっとにらみつけ、そう言った。
「おらは、おっ母の、あだをうったんじゃ・・・」
「・・・ばか。 あなた、ばかです・・・っ・・・」
「ひととは、ままならんもんじゃのう」
崖の下から、さきほどの風のような声が、うわんとひびいた。
黒い一陣の風が吹きあげて、ふたりの前でぐるりと渦を巻く。
「うお?!」 「あなたは?!」
おつるはもちろん、武三にも、その声と風に覚えがあった。
いしづちやま
石 雷 山 にひびいた声、吹いた風。
ぎょうじゃ
「 行 者 さま・・・」
ほうきぼう
「 法 起 坊 さま!」
黒い風はぐるりとうずを巻いてまとまり、黒い翼の大天狗になった。
天狗さまは泥の上をすいすいと、高下駄によごれ一つつけずに歩み寄ってきた。
「法起坊さま。 おらを、助けてくれただか」
「落としものも、拾うといてやったぞ」
天狗さまは、武三が落とした包みを、おつるにむかってほうり投げる。
それにあわあわと両手をのばす武三は、風にぐるんと押さえつけられてしまった。
「おつる、中をあらためてみい」
「そ、それは」
「遠慮するな、おんしのもんじゃ」
「え」
おつるは包みをしゅるりと解いた。
中から出てきたのはいくばくかの銭と。
おしろいに、紅。 かんざしと、根付け。
「これは」
「・・・」
「武三、なんか言うたらんか」
武三はぶすっとして、下を向いてしまった。
天狗さまはからからと笑って、ほどけた包みをあごでさした。
「どうした、そいつはおまえのおつるへの『ありがとう』じゃろうが」
「・・・えっ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「そうなのですか、武三さん」
おつるは、おとついの夜のことを、思い出しておった。
武三にたっぷりかわいがってもらったおつるは、
ありったけの気持ちをふるいおこして、自分のことをはなしたのじゃった。
自分はかつて、とても悲しい恋をして、とてもつらい別れをしたこと。
そのとき、ほんとうに身もこころも、ひきさかれてしまう思いをしたことを。
― だからあたしは もう二度と だれのものにもなるまいと 思ったのです
― そのひとなしで いられなくなってから そのひとを 失ってしまうくらいなら
― だからあなたとも すこしだけふれて たわむれるだけに しようとおもった
― だからわたし ああしてたんです ―
”暗い森はもう嫌じゃ、寒い森も、もう嫌じゃ ―”
― それでもあたし あなたがああしてしてくれて
あたしを あなたのものに してくれたとき
とても とっても うれしくなったんです
― だから もう一度だけ あなたのものになってみよう
あなたにからだをまかせ こころをあずけてみようって
― わたし、そう、思ったんです ―
そこまで言ったおつるを、武三はめちゃくちゃにかきいだいた。
ありがとう、ありがとうよと、なんべんもなんべんも口にしながら。
「これ、あのときの『ありがとう』なんですか。 武三さん・・・」
「・・・違う。 これは、そんなもんじゃ・・・」
「かかかか。 いま渡してしまったら、そいつはただの方便。
許してもらうための嘘っぱちになっちまうものなあ」
「・・・・・・・・・・・・」
「あの『ありがとう』は、嘘には、できんわなあ」
「・・・武三さん」
武三はぶっすと黙りこくっておった。
なんも、ひとっことも、言い返せんかった。
天狗さまはかかかと笑って、おつるに向きなおった。
「おつる!」
「・・・はい」
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