「聞いたか?」「元服したばかりで、密偵頭とは…」「彼奴の父が家老とはいえ、若輩者に謀が務まるかのう…」「そもそも、あれは誠に本物であろうか?」壮年から老年の武将達は、その日こぞってある者の噂話をした。それは、諜報を担う大役を、初めて烏帽子を冠ってからまだ一年経たぬ青年が務めるというものである。
青年は、一年ほど前隣国への偵察に初陣で向かった。しかし、部隊はある峠で謎の敵方の襲撃を受け潰走、名目上の大将たる彼は行方不明という失態を演じた。家老の嫡男たる若武者は、すぐさま捜索が行われたものの、痕跡一つ出なかった。数十日で「神隠し」と口にする者もいた。
それが、突然六月前に城の大手門に現れたのだ。当然、家中では不審を以て受け止められた。家老や一族、親しくしていた者が集められ、人相や素性を調べたが、本人と認めるしかなかった。
帰参してすぐ、青年はめきめきと頭角を表した。元服の折に形式的に受領した土地を精力的に練り歩き、領民の生活、地形や風土を調べ上げた。一月もしない内に、彼は領内で支持を獲得した。その流れで、隣国との物流や人の出入りを把握し、新参者でありながら調略に貢献すらした。
主君は若武者を気味悪がりながらも、実績と家柄から彼を重用するようになり、ここにきて密偵頭へ抜擢した。無論、他の家臣からの反発や不信の諫言が起きたものの、青年は逆にどうやったのか家中の後ろ暗きを調べ尽くしていた。皆が秘密を握られるようになり、彼を恐れるようになった。
また、口さがない者達には噂を立てられるようになった。曰く、夜な夜な寝所を抜け出して、何処かに走り去っていく。曰く、執務室の側を通り掛かると、部屋に他に人の出入りがないにも関わらず、何やらぼそぼそ独り言をしている。曰く、廊下ですれ違う影には角が生えている。
青年は、机の上に巻物を開き、暫し眺めていた。「ほおう?あることないこと、お主について書き連ねてあるぞ」
後ろから、酒焼けした声が聞こえた。彼が振り替えると、自分の背から、影法師が天井にまで伸び上がり、角を生やした。見る間に、真っ赤な大鬼が壁から姿を現した。
「これは、紅葉殿…何か御用でしょうか?」若武者は、鬼を一瞥した後、机に向き直った。「何か御用で、とはまた他人行儀よの?決まっておろう、お主の進捗を聞きに態々足を運んだのよ」紅葉は、天井に頭を擦りながら猫背気味になり、彼を見下ろして言った。
「特に、これといって…強いて言えば、今年は稲の育ちが良く、豊作になりそうです」青年は、密書に目を通したり、家中の通文事情を検閲しながら答えた。「ふむ?それは善きこと。旨い酒が出来そうじゃわい…じゃが、ワシが聞きたいのは、いかに大名連中の掌握が進んでおるかと」
「わたくしの見立てでは、四分五厘ほどかと…反発や疑心は出続けているものの、排除するための証しは掴めていない様子。対して、わたくしは首尾良く密偵頭に就きました。我が君、一門衆、重臣のお歴々の秘めたるは我が手に集いつつあります」「ふむ、末恐ろしい男よの」「お陰様です」
「良い報せが聞けたら、何ぞ喉が渇いてきよった…」大鬼は、わざとらしく座り込み、若武者に目配せした。彼は、文簡を巻き取ると、部屋の隅の畳を取り払った。板張りが剥き出しになり、中には優に七升は入る酒壺があるではないか。青年は、腕に力を込めると赤く膨張し、片手で壺を担ぎ出した。
「ふふふ、酌をしてくれるかえ?」紅葉は、何処からともなく楓の絵の入った、盃を取り出した。若武者は、慣れた手つきで、壺から直に酒を注いだ。なみなみと注がれた酒を見ながら、赤鬼は牙を剥き出しに嗤った。そして、一口に呑みきった。「…うまいのう」青年には、その赤ら顔が色を深めたように見えた。
「甘くまろやかか口当たりじゃの…肴もあればと言ったら高望みかの?」紅葉は、舌嘗めずりしながら、彼に催促した。若武者は、酒を呑んでもいないのに、仄かに頬を赤らめた。「…今夜は何をご所望で?」「そうさな…瑞々しい若人の吻じゃ!」
赤鬼は、乱暴に青年の唇を奪った。「!」「くははは…酒より増して、お主も甘ったるいの?」「…紅葉殿も…甘い…鼻を貫くような…甘さにござる…!」「そうかえ?お主も言うの」
紅葉は、若武者を押し倒すと、再び口付けた。更には裂けた口を開いて、異様に長い舌を這わせ、首筋、胸、臍を甘噛みした。その度に彼は、脳天をつんざくような快楽に背筋を振るわせ、身を捩るしかなかった。「うまい…うまい!酒とおなじよ…寝かせば寝かす程に深みが出るわ!」「…あああ!」
大鬼は、青年の全身を隈無く嘗め回し、口付け、吸い尽くさんばかりであった。一通りの味見が終わる頃には、彼の身体は赤い斑にまみれた。彼女は、その様を反芻するように眺めるながら、盃を空にした。
「はあーっ…はあー
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