第一章 第五皇子と<貪食族>~荒野のグール~その5

それから7年。ヤルタヒムでは、特に問題なく生活が続いた。マフムートは、骨細工師として義父に弟子入りした。獣だけでなく、荒野で生き倒れた身寄りのない人間の骨を加工することもあった。

グールとしての習性か、ナディーヤ達は死体に鼻が利いた。彼女らは、死にかけの旅人を手当てしたり、身寄りのわかる死体を遺品と共に近隣の人集落に届けた。基本的には夜中、寝静まった頃だが、人間に見つかることもあった。

そのためか、未だに「人食い鬼」の噂は消えていないようだ。マフムートは、時折、手空きの時間に壁画や服装品、また遺構を調査した。

彼は、その中である仮説を思い付いた。アル・マナート神は、一般に家庭の神であり祖神信仰の女神だと思われている。しかし、アル・ラート("神"の女性形:美と愛の女神)がエロス神、アル・ウッザー(強き力:魔法の女神)がヘカテとなるならば、このマナート神はヘスティアに相当するのだろうか?

「私が思うにだよ…」マフムートは、骨の揺りかごに寝かした赤子に話しかけた。「マナート神は、多島海の西で言うところのプルート女神ではないか、あるいは謎めいた『堕落神』と関係があると考えるのだが…ねえ、アラナイ?」「あうう…あぶ」赤子は自分の足をしゃぶった。

「まだ話せない赤ちゃんには、早いのでは?」ナディーヤは呆れた。「私達の娘だぞ!きっと、君に似て賢い、いたっ」マフムートは揺りかごを揺らしながら反論したが、娘に噛まれた。「アラナイ、またこんなに噛みついて…」生まれて3ヶ月だが、既に親と同じように、厳めしい乱杭歯が生え揃っていた。

「お腹すいちゃったのかなぁ〜?」ナディーヤは、アラナイを抱き抱え、直ぐ様授乳の体勢に入った。「あむ…まうま!」「まあ、食いしん坊さんね…」赤子は、母にむしゃぶりついた。「ところで、さっきの仮説ですけど…」「ん?」ナディーヤは、揺りかごと毛布を取り替えていたマフムートに話しかけた。

「マナート神が、プルートに相当するんじゃないかって」「ああ…地下ないし冥界の管理者だよ。要は、マナート神は家庭の神が先祖を祭る神になったっていう通説から、ここや他で発掘した…」彼は、今まで集めたパピルスや石板を見せた。「物語を再構築してみると…」「冥界の女神が先祖への畏敬という点で、家庭の神へと信仰が変化した…」

「やはり、ナディーヤは話が早くて助かる」マフムートは、妻の背中から抱きつき、頬を寄せた。「あううう!」「もうっ、お乳を飲ませてるんですから!」「ごめんよ!ほら、べろべろばー」彼は娘をひったくりあやした。「あっあっあああ!」「まったく、この人は…」

「邪魔するよ」その時、石扉を開けてジャミーラが入ってきたのだった。「やあ、ジャミーラ」「あら、こんばんは」「ああっああっ」三者三様の挨拶に、彼女は出迎えられた。「よおアラナイ!元気してたか?」彼女は、赤子を抱き上げ、掲げるようにしてあやした。「あっあっああっ」

「それにしても、あなたが部屋まで入ってくるなんて」「ああ、それなんだがちょっと顔貸してくれないか?」ジャミーラは、一転して神妙な顔になった。「今?でも、アラナイから手を離せないし…」「大丈夫。私がこの娘を見ておくよ」マフムートは、娘を両腕で掬い上げた。

「アスバルは、ウチのシャイフさまよか役に立つな!」「また、自分の夫をそんな風に…それにこの人、何かに打ち込むと娘のことすらすっぽぬけちゃうし…」ナディーヤは、ジャミーラの言葉に反論した。「まあ、そんな時間かからねえから、大丈夫だって!」「いってらっしゃい!」

「はあ…とりあえず部屋から出さないのと、変なもの口に入れさせないようにね…」「任せてくれ!」マフムートは、胸を張って言った。「ほら、アラナイも母さんに、いってらっしゃいって…」「まう、いっああい!」父親に促され、赤子も小さな手を振ってナディーヤを見送った。

「…いってきます!」「じゃあな、すぐ母ちゃん戻って来るからよ。アスバルもな!」2人は、部屋を後にした。マフムートは、獣の骨と皮を加工した囲いに娘と入った。「さあ、アラナイ!母さんが帰ってくるまで、父さんと一緒に何する?」「あー?」アラナイは、部屋の中を見回した。

「あい、あっあ、あえい…あうああ!」赤子は、机の上を指差した。「何か面白いものなんかあったか?」マフムートは、机に載った品々を手に取っていった。「あうああ!」「ん?」アラナイが反応したのは、絵のかかれた粘土板であった。

「これかい?」「あう」赤子は、父親の膝の上でそれに触れた。「やっぱり、興味持ってくれたか」マフムートは満足気に頷いた。

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1刻程のち、ナディーヤは戻ってきた。「お帰りなさい。それで、一体何があったんだい?」「それが…」「?」彼女は答えに詰まった。マフムートは、
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