朝起きる。体内時計は、日光によって調律されるらしい。しかし、私は20年近く太陽を見ていないかもしれない。
部屋は、土壁で出来ていて、手作りの研究資料と仮眠用ベッドだけの簡素なものだ。それでも、自室があるのは嬉しいものだ。特に我が子に作ってもらったものは。
日課の散歩に出向いた。部屋には扉などはない。すぐ隘路に出る。「おはようございます!ハカセ!」すぐに声をかけられた。「ああ、おはよう。ホセフィナ」
「あっ!ハカセ上、本日もご機嫌麗しゅう!」守衛のアリも挨拶した。「おはよう、カザリン」「ハカセだ!」「おハカセさん!」「ひゃかちぇ!」大きな働きアリから、羽化したばかりの幼子まで、その体格は千差万別だ。それが一様に、敬愛を持って挨拶してくれる。家庭を持つのも、悪くはない。
「おはよう。ダリア、ロゼット、メーニャ」「ままのとこ、いく?」「そうだね。一緒に行くかね?」「いく!」メーニャは、小さな歩脚を使い、私の身体を一生懸命上っていく。人間の6歳相当だが、肩に乗っても重みを感じない。
アリ学者の端くれとしては、「平衡感覚と六脚による体重分散の結果」と言うべきだが、親としては「我が子が重荷になるわけがない」と考えてしまう。研究対象に対する、適切な距離感ではないが、学会で発表するわけでもないのに気にする必要もなかろう。
おそらく、地上は早朝であろうが、この巣内は一昼夜誰かしらが起きているのだ。ジャイアントアントは、アリの魔物である。然るに、彼女らは1日を三分割し、それぞれ寝起きと仕事を割り振っているのだ。
「メーニャは早起きだね」「メーニャ、いまあさのしごとする」「そうなのかい。えらいね」「うん。メーニャ、おねえちゃんになったから」研究者としては、不規則な生活をしようが、いつ寝てもいいし、いつでも食堂が開いてるここは最高だ。
そんなことを考えながら、親子で他愛もない会話をしつつ、いよいよ新生児室に辿り着く。「王配殿下!本日も異常無しであります!」プレイトリアン(最上級兵アリ)が、軍隊式敬礼を送る。「うむ、ご苦労。女王陛下に本日の挨拶をしてもよいかね?」
「かしこまりました、殿下!消毒を行わせまするので、何卒お待ちいただいてもよろしいか?」「構わんよ」土中生活する虫ではあるが、寧ろだからこそ我々の生活は地上人よりは清潔に気を配っていると自負している。
さて、一種の蟻酸を浴びて、我々はいよいよ入室する。そこは、発光する巨大キノコのあかりに照らされた、広々とした空間である。等間隔に伸びる塔は、天井に伸びるが接着していない。飾り柱か?否、これは卵である。
昨日、今日生まれたばかりの卵を軽く観察する。孵化していないものも、孵化したものもある。孵化した卵は完全には割れず、そのまま幼虫を保管する揺りかごとなる。その1体と視線を交わす。「メーニャ、見なさい。新しい妹だよ」「わあ、かわいいねえ」
ここは、赤子がいるだけではない。それを産み出す、偉大なる存在もいる。私は、毎日来ているにも関わらず、胸の高鳴りを抑えられない。「〜〜♪」地響きを発しながら、楽しげに卵を産んでいく、雄大なシルエット。「女王陛下!元気な赤ちゃんですよ!」「まあ。そうですか」助産師のアリが、せっせと卵を受け取り、積み上げていく。
「日増しに美しくなる、ああ貴女を見る度、私は快感にうち震えるしかできません。女王陛下、ご機嫌麗しゅうございます」「まま、おはよう!」巨大な下半身にちょこんと乗る上半身が、こちらに注意を向ける。「まあ、ハカセ!それにメーニャじゃないの!嫌だわ、髪まだセットしてませんよ!」
「何をおっしゃる!貴女の全てが美しい、何を恥じる必要があろうか?!」「そう言ってくれるのは嬉しいんですけど…でも、経産婦のおばさんのすっぴんを…その」彼女がもじもじと身悶えする度、部屋が揺れていく。
私はその姿に耐えきれず、脇目も振らずに、彼女の腹に飛び込む。「ちょっと!やめてくださいよ、またプニっとしてきたんですから…」私は構わず、その感触を楽しむ。「この腹には、貴女と私のまだ見ぬ子らがいる。これこそが豊穣の体現!貴女こそが、大地母神なのだ!これも美の一つだと私は思います」「まま、ぷにぷに〜」
しかし、私の至福の時間は、誰あろうその本人に中断された。「まあ、ひどい人。ほんとに昔から、言い出したら聞かないんですから…」女王は、私の身体をただ一本の腕で持ち上げた。彼女に近づくと、小さいと思っていた上半身も私より一回り以上大きいとわかる。
「すみません…」「まま、ひゃかちぇおこらないで」メーニャは私の肩を持ってくれるようだ。「怒ってませんよ。ただ、父親なら、もう少し子供の手本になってくれませんと」「そうは言うが、夫婦円満は魔物とし
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