ゴーン…
時計の針が午前1時を告げた。夜も深まり、日々多忙なこの街の住民も漸く皆寝静まる頃である。
「ふぁぁ…」
一人机に向かい書物を広げていたシスターは小さく欠伸を漏らした。
…此処は港街ティリスの中央区に建つそこそこに大きな教会である。昼間、特に休日ともなれば多数の市民が礼拝に訪れる。司祭を始め多くの牧師や修道女が勤めており、また見習いの少年少女も多い。
彼等は…身寄りの無い子供達がこの道を選ぶことが多いことも手伝って…多くが教会内に住み込みで生活していた。
…故に、起点としては理想的な場所であったのかも知れない。
読書を止め、本を書庫に戻すべく自室を発つ。ドアを閉め、回廊を左へ…。今彼女のいる区画は一つの円形の塔となっており、中央の吹き抜けを取り囲む様に各階に回廊が設置され、それぞれが階段で連結されている。回廊の途中、等間隔に設けられた大型の窓は星と月の光を効率的に取り込み、真夜中にもかかわらず燭台など必要ない程に進むべき道を照らしていた。
重厚な造りにしてある種洗練された美しさを併せ持つこの建造物の様相と窓より射し込む月光、そして彼女の他には人っ子一人見えない深夜の静寂は互いに調和し合い、どこか厳かな、そして神聖な雰囲気を醸し出している。
唯一つを除いて…
「どちら様でしょうか?貴方は。」
突然そう言い放って本を抱えたシスターは足を止めた。
彼女の前には誰もいない。
だが、
「あら…気づかれてしまいましたか…。」
その声は背後より聞こえた。彼女が振り向く。
すると彼女の視線の先、ちょうど窓を挟んだ向こう側の暗闇より、もう一人の修道女が姿を顕した。月の光を受けて輝く銀色の長い髪が揺れる。まるで暗闇に融けるような漆黒の法衣に包まれた身体は自分とは対照的に女性的な魅力に満ちた豊満なものである。彼女は優しげな微笑みをその顔に貼り付けながら、此方へ歩いて来た…ただ心からの純粋な善意しか感じられないその笑顔が、この状況ではかえって不気味だった。
「いつから気づいてらっしゃいました?」
「部屋を出てからずっと違和感を感じていました。空気が重いと言うか…何か禍々しい澱みのようなものが混ざっているというか…いつものこの時間の空気とは違った何かを…」
「毎日こんなに遅くまで…勤勉なのですね……
…、
…罪深いことです」
突然現れた不審なシスターは自分が投げ掛けた問いへの回答には興味を示さずにただそう告げる。
「…、そうですね…努力とは他者を凌ぐ為の行為。…勝負をすれば必ず勝者と敗者が生まれる。そして私のしている事は敗者を踏み台にして自らが勝者の側で在るための罪深い行為です。」
「そこまで理解して尚…貴女はそれを続けるのですか?」
闇より顕れた女は悲しそうな、いや、哀れむような目でこちらを見つめて問い掛ける…。
…なぜそんな目で見る。
仕方無いではないか、そうしなければ私は…
「それが…人間の世界です。皆そうして生きているのですから。」
「神様がそのように世界を創ったと?」
「そのとおり…です。神は厳父であり我々に試練を与え人を正しい方向へと導くのです。」
「その正しい方向というのがいったいどちらを向いているのか一度問い質してみたいところではありますが…意図的に一定数の敗者を生み出し、その犠牲の上に立ってさえ、満足な幸福を享受出来ない。今度は手に入れたその場所を守る事に腐心しなければならなくなる…勝者にも敗者にも苦難を振り撒くこの世界を神が創ったというならば…、
果たして貴女の信ずる『それ』は信仰に値する神でしょうか?」
「…やはり魔物…神を愚弄しますか。神は我々を愛しておられるのです!我々人間が道を誤らぬよう…」
「愛している?ならば何故『アレ』は人を救わない!?愛するものを救わず快楽を奪い苦痛を与える存在など正に邪神と呼ぶに相応しいモノではありませんか!!」
段々と追い詰める様に謎の修道女は近づいてくる。この回廊で最初に感じた禍々しい空気は今や絶大な気迫となって彼女より放出されていた。正面から押し寄せる得体の知れない力が肺を圧迫し、気を抜けば呼吸すら出来なくなりそうな有り様。しかし
「だ…黙りなさい!これ以上言うなら…ッ」
残った勇気を振り絞りこの真面目なシスターはなんとか声を絞り出すと後方へ跳躍んだ。同時に高速で詠唱を完了させると右手に光の槍を具現させる。
「貴女の云う神が貴女を愛しているというのならッ、『それ』が慈悲深くも与えてくださった力を以てこの窮地を脱してみせよッ!!」
「言われなくともッ!!」
先程立っていた位置より数メートル後方へ右足で着地するとその反動を右腕に繋げた。体の中で力が線となって繋がるイメージ…全ての力を右手の先へと収束させ
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