「始めまちてー、あたちを呼んでくれて、ありがとうでちー」
喫茶店の中に、元気な声が響いた。
現れたのは、炭筆の豪快なタッチでデッカく『鼬』と書かれたTシャツを着て、青地に金糸の派手なスカジャンを羽織った女だった。
年は20歳前くらいだろうか? 顎を超えるくらいの艶やかな黒髪。一見すると童顔にも見える可愛らしい顔立ちは、快活そのものという笑顔を浮かべている。小動物じみたクリクリとした瞳は、姉のものよりも黒目がちだった。
Nというゴスロリ女と何度か会った後、「妹と会ってもらいたい」と和冬は言われた。
連絡先は知っていても、Nの妹だという他の二人と連絡をとったことはない。
てっきりNも一緒に来ると思っていたが、現れたのは元気一杯の彼女一人だった。
妹とは言っても、正直彼女はNに似ていない。見た目も、性格も。
「あたちの事はPちゃん、と呼んでほしいでちー!」
Pちゃんは、今にも飛び上がりそうなほどの勢いで両手を上げた。その勢いに和冬は圧倒されてしまう。夏風が草いきれを巻き上げたような、爽快な風が吹いた。
一緒に大きな胸が揺れる。姉よりも……デカイ。それ以上の説明は不要だった。
Nはいつも恐ろしい量の糖分を食べていたが……上品で静かに話していた。
しかし、Pちゃんは今にも走り出しそうで、何処かに激突して、それでも遊び続けていられるような、そんな危うさと快活さがあった。
『放っておけない』というか、思わず守ってあげたくなるような。
「じゃあ和くん、行くでちよー」
「行くって、何処に?」
いつも通り、ここで何かをつまみつつ話をするものだと、和冬は思っていた。
彼はNのいつもの様子を思い出す。彼女の食欲は、食事ではなく蹂躙だった。
最近は愚痴ではなく、勉強の進行状況や雑談をすることの方が多い。
それはーーとても穏やかな時間で。
彼女と話す時間は、和冬にとってなくてはならないものとなっていた。
春風のような彼女にーー和冬はいつしか惹かれていた。
微笑みそうになった和冬に、Pちゃんは元気いっぱいに言う。
「決まってるでち。お金もかからず、いつまででも遊んでいられる夢の国! こーえんでちー」でちー、でちー……(エコー)
「お客様、お静かに」
「ごっ、ごめんなさいでち」
マスターに怒られて、Pちゃんは素直に謝っていた。悪い子ではなかった。
◆
公園の空は晴れていた。
暴君的な夏風が吹き飛ばしたような、清々しく高い空。
それはーー青い蜃気楼のようだった。
公園には、思っていたよりも遊具はなかった。記憶と違う光景が、ますます幻じみていた。
そういえば、『安全性の問題』という理由で多くの遊具が撤去されている、という話を聞いたことがある。
彼女は何をして遊ぶつもりだったのだろう。和冬はチラリとPちゃんを見る。
遊具があったとしても、そんなもので遊ぶような年ではない。まさかとは思うが、昼間の公園で追いかけっこをするわけではないだろう。
そんな、カップルのような羞恥耐久訓練はできない。
和冬は隣のPちゃんに声をかけようとしてーーギョッとした。
目が、この上なくキラキラしている。黒曜石のような瞳が子供たちに向けられていた。
何だか嫌な予感がするーー。否応無しに、面倒ごとに巻き込まれてしまうような。
和冬は「Pちゃ、」
「みんなー! 遊ぼうでちー!」無視されて、
彼女は子供たちに向かって駆け出して行った。
「待てや! この阿魔ァァァ!」
一直線に的中した予感に、思わず素の怒声が出てしまう。
(フザケるなよ。冗談じゃあない。
遊具の撤去されたこの公園を見れば分かるだろう。そんな過保護な今時分に、見知らぬ女が突撃して行けば、すぐに事案発生だ)
鞭で尻を引っ叩かれるような気持ちで、和冬は彼女を追いかける。
いつぶりかも分からない全力疾走。心臓が破れそうなくらいに高鳴っている。
だが、この胸の動悸はーー決して、イヤなものではなかった。
和冬の奮闘虚しく、Pちゃんは子供たちの元に辿りついていた。なにやら保護者と話している……。和冬は諦めて、呼吸を整えつつ、彼女たちの元に向かう。大した距離でもないのに呼吸が上がってしまった自分が、情けない。
彼女は夏風のように、一直線に止まることなく吹き抜けて行った。
「というか、速ぇ……」
あっという間の出来事だった。彼女と付き合う前には、体力トレーニングが必要だ。
受験が終わったらやろうか、それとも今から気分転換の時には運動してみようか。そんな益体も無いことを考えつつ、和冬はPちゃんの元に向かう。
和冬はいつの間にか、自分では気付かずーー受験の次のことを考えられていた。
「遅いでちよ」
トロトロ歩いていた和冬に向かって、Pちゃんが走って迎えに来た。
彼女が走って暴れた大きな胸が、『余を見るのだ』と暴君
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