1、ケンタウロス:第三中手骨ヒビ

馬。
動物界脊椎動物門哺乳綱奇蹄目ウマ科動物の総称。
草食動物。走ることに特化した動物の極地であり、悲しき果て。走ることを生存戦略として選択した生き物の究極のカタチ。走れなくなったものは馬でなく、他の肉食動物に喰われることがなかったとしてもーーー、死ねるように出来ている。

「おい! だから、私には医者なんて必要ないと言っているだろう! とっととこの手を離せ! こんなもの、大人しくしておけば治る! 今まで、散々冷やしただろう」
「そうだけど、君にもしものことがあったら大変だろ。心配する僕の身にもなってくれよ」
「…………」
男の言葉に静かになるケンタウロスの女性。
勝気な性格が顔立ちにも出ている。ツリ目がちの瞳は鳶色。解くと腰までは届くだろうという金髪をポニーテールで結んでいる。馬の体の、本来ならば首が付いているはずの部位から、グラマラスな美女の体が伸びていた。
「イチャつくなら、他所(よそ)でやってくれないか?」
「い、イチャついてなどいない!」
和冬(かずと)の言葉に、彼女は顔を赤らめた。
面倒臭そうだな。和冬はやれやれと肩を竦める。
「で、どうしたんだ?」
「ふん、見てわからないのか。足を痛めたのだ! 腫れてもいないし、私は大丈夫だと言っているのに、こいつが無理矢理連れて行きただけだ!」
コイツ、もうこのまま放り出してやろうか……。偉そうに踏ん反り返る彼女を見て、そんな思いが和冬の脳裏をかすめる。
だが、彼氏、夫だろうか。どっちでもいい。不安そうな顔をした男を見て、和冬は思い留まる。
「で、何があったんだ?」彼女に聞いてもラチが明かなそうだ。和冬は男の方に尋ねる。「あんたから、聞いた方が手っ取り早そうだ」
「何だ! その言い草は!」
怒鳴りだす彼女を宥めながら、男は口を開く。
「実は、ニ、三日前に、彼女、転んだんです。結構な勢いで……、それで足を打ったみたいなんですが、その痛みがまだひかないらしくて……。彼女はこの通り、大丈夫だと言っているんですが、心配になって……」
「お前は心配しすぎなんだ……、心配してくれるのは嬉しいが」
怒りとは別の感情で顔を赤くしている彼女。
だから、イチャつくなら、他所でやってくれ。そして、面倒だ。と和冬は思う。
彼女自身が面倒なのは暗黙の了解として、別の意味もある。
「じゃあ、少し触ってもいいか?」
「触るだと!? 私に触っていいのは夫だけだ!」
「………。ほっとくと、最悪、死ぬぞ? まぁ、お前は魔物娘だから野生の馬と違って死ぬことはないかもしれんが、良くて、その脚を失うくらいだな」
「「………は?」」
和冬の言葉に、二人が似たような声を上げる。
夫婦は似る、という事か。しかし、自分のように、嫁が何人もいる場合はどうなるのだろうか? そんな益体も無いことを和冬は思う。
「ど、どういうことですか先生!? 彼女が死ぬかもしれないって!」「い、いい加減なことを言うんじゃ無い!」
声を張り上げる二人に、
「だから、それを確かめるために、大人しく触らせろ、と言っている」
呆れた風に和冬が言う。
「……………。わ、……かった。だが! 変なことをしたら承知しないぞ!」
「当たり前だろう」
死、という言葉がよほど応えたのか、彼女は渋々といった体でも、脚に触れることを許可してくれた。根は臆病なのかもしれない。人のような個性を持つケンタウロスにそのまま当てはめられないだろうが、草食動物である馬は、そう、だ。
馬と違って、診療中に蹴ってくることは無いだろうが、和冬は慎重に、彼女の横に回ってからその脚に触れる。馬は身体構造上、前後に蹴ることは出来るが、横方向の回し蹴りを撃つことはできない。
牛は逆、前後の蹴りはできないが、油断すれば回し蹴りが飛んでくる。ーーー閑話休題。
馬の表皮には、短い毛が密集して生えている。ビロードのような艶(つや)のある、彼女の毛並みは見事だ。触っていたくなる誘惑を感じるが、診察の方が大事だ。彼女に怒られるだけでなく……、ウチの看護師にもお灸を据えられることになってしまう……。
関節を伸屈させても彼女は痛みを訴えない。熱感もない。一先ず、関節には大きな問題はなさそうだ。しかし、むしろ、得てしてその方が問題が大きいことの方が多い。
和冬は、今度は下から順に骨を確かめていく。脚を曲げて蹄の裏を確認し、触診しつつ脚先から徐々に上がっていく。末節骨、中節骨、基節骨、そして、中手骨ーーー。

「グッ……!」

彼女が呻き声を漏らした。
ここ、か。
「少し、我慢しろよ」
まず、骨は折れていない。しかし、熱感はない。確か……、二、三日前にやったと言っていた。という事は、それからは脚に荷重をかけないようにして、過ごしていたという事か………。
痛めたならすぐに来いよ! 和冬は内心で舌打ちをする。やはり、面倒だ
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