「何なんだ。ここは……」
男は広がっていた光景に目を見開いた。
「ここは、アラクネの巣か……?」
洞窟の中には、糸。糸。糸。糸は燐光を放ち、洞窟の中を薄く照らしてる。
縦横無尽に張り巡らされた蜘蛛の巣は、主の几帳面さと、ーー狂気を代弁していた。
単なる蜘蛛の巣ではない。獲物を捕らえるためならば、罠らしく隠すはずだ。しかし、ここは、そうではなかった。
見せつけるかのように。挑発的に、蠱惑的に。見ているだけで、頭の中を掻き毟られるような紋様を形作っている。
「ここが異変の元か……。だが、これは俺の手には追えない」
男はそう呟くと、踵を返そうとする。
冒険者として受けた依頼。それは、この洞窟を調査してもらいたいというもの。
どうしてだか、この洞窟に村人が入れなくなったという。
物理的に入れないのではない。洞窟に入ろうとすると、足が動かなくなるのだと言う。
奇妙な形をした蜘蛛の巣を目にした男は、アラクネ属の魔物が住み着いたのだとアタリをつけた。
それを依頼主に報告して、教会に魔物の討伐要請を出させる。この依頼は、男が洞窟を覗き込んだ時点で終わったはずだ。
それなのに………。
蜘蛛の巣を見ているうちに。男は洞窟の奥へ、奥へと足を進めてしまっていた。
そもそも、これは奇妙な依頼だった。ーーー今になって、分かる。
村人の誰もが、この蜘蛛の巣を認識できていなかったのだ。
もしかすると、この紋様の所為なのだろうか…。不可思議なパターンの紋様には催眠に似た効果があり、特定の者にしかこの蜘蛛の巣を認識できない、とか。
男は嫌な予感を覚えながら、蜘蛛の糸に手繰り寄せられるように洞窟を進んでしまった。そうして、とうとう奥まで辿り着いたのだ。
気付ける者にしか、気づけない代物。
この場合は波長が合うと言ってしまっても良いだろう。男は蜘蛛の巣の存在を認識できてしまった。
それは、蛾(エモノ)を誘う誘蛾灯のように。分かっていても、惹きつけられてしまう代物。
本能が求め、理性を嘲笑うもの。タチの悪いことに、今は理性の方までもが掻き毟られているようだ。
辛うじて残っている理性で、男は思う。
逃げなくてはいけない。だが、踵を返そうとした足が、脳の命令を無視する。
ーーーどうして、逃げようとするの?
どうしても。しかし、どうしようもなくーーー。
逃げちゃイヤ。男のクセに、逃げ出すの? この……臆病鶏(チキン)。
逃走を求める本能を、闘争を求めない理性が空転させる。
………ふふふ。逃げないの? もっと、罵られたいの? このーー。
「変態」
ハッキリと聞こえた声に、男は突き飛ばされたと感じた。
しかし、事実としては、男は自ら蠱惑的な蜘蛛の巣に突っ込んでいた。
男は遮二無二暴れた。暴れるごとに蜘蛛の巣は絡みつき、ドンドンと男を縛り上げていく。
暴れれば暴れる程、糸は絡みつく。そんな、約束事を、ーーー男は知っているのに暴れ続ける。
心臓がバクバクと音を立てている。
ーーー本能がここから逃げ出せと言っている。
ーーー理性がもっと縛られろと言っている。
もっと……、もっと。彼女に好き放題されるために。手も足も出ないように、蜘蛛の巣にまみれろ。
そう理性が囁いている。
「は、はははは」
男の口から、オカシナ笑いが漏れた。
俺はどうしてしまったのだ。何で、自分から蜘蛛の巣に引っかかって。何で、自分から縛られているのだ。
ーーーそれが、あなたの望みなのよ。マゾ豚さん。
違う。理性の隅っこの方の、冷静な自分が必死で否定する。
ーーー違わない。ふふ、ふふふふ。あなたは自分から縛られたかった。縛られて、罵られて。
「食べられたいの」
女だ。女が現れた。
いや、元からいたのかもしれない。
ネバつく蜘蛛の糸で雁字搦めにされた男は、彼女を見た。
仄かに光る蜘蛛の巣の上に。可愛らしい顔の少女が立っていた。
少女は一糸まとわぬ肢体を、余すことなく男に見せつけている。その背から、四本の蜘蛛の足が突き出ていた。
蜘蛛、ということは、アラクネ属であるはずだ。だが、こんな魔物は知らない。
男は、舐め回すように少女の肢体を見てしまう。
「ふふ。うふふふふ」
少女の可愛らしい声が、洞窟の壁に反響する。
その声を聞いた男は、頭がクラクラした。蜘蛛糸が音波に乗って、鼓膜から入りこみ脳内で巣を張っていくよう。
少女の官能的なその声音は外見にそぐわない。だが、この巣の主としてはこの上なくしっくりくる。
男をおびき寄せて籠絡する妖女。パクリと頭から食べられてしまってもおかしくない。
震える体とは裏腹に、食べられたい、と理性が訴えている。
一体、どうしてしまったのだ。俺は……。
男が浮かべた絶望的な表情に、少女が嗜虐的な笑みをこぼす。
「ねえ、ここ。触ってみたい?」
己を視姦してくる男に対
[3]
次へ
ページ移動[1
2 3 4]
[7]
TOP[0]
投票 [*]
感想