俺は夢を見ているのだろうか。
俺の持ち込んだ燭台が『それ』の影を揺らす。
”ねぇ、聞こえているのでしょう?”
誰に言ったとしても信じてもらえるわけが無い。頭がおかしくなったと笑われるだけだ。そもそも俺自身が自分の正気を疑っている。
むしろ正気では無いことを願いたい。
”聞こえているのならば、どうか私のお願いを聞いていただけないでしょうか?”
夢ならば、いっそ狂えれば、どんなに救われていたことだろう。
ゾッとするような艶かしい女の声で語りかけてきているのは、間違いなく『それ』だ。
肛門から入り込んで背筋を舐めあげられるような余韻を残しながら、声が脳髄に語りかけてくる。
俺は確かに墓を暴いた。トレジャーハンターなのだから当たり前だ。そのことで罰や呪いを受けることだって覚悟はしていた。
だが、これは想像出来るはずもないだろう。
”どうか、どうか。お願いいたします”
それは哀れっぽい声を俺に送り込みながら近寄ってくる。
来るな、来ないでくれ、こっちこそそうお願いしたい。
俺の体が動かないのはお前のせいだろう。人の体の自由を奪っておいて、お願いしますとは何事だ。
だが、俺は声すら出せない。俺に許されているのは、彼女の願いを聞き入れることのみ。
”あなたの精をいただきたいのです”
魔物娘のことは知っている。おそらくこいつはアンデッド系のナニカなのだろう。
魔物娘の存在が広く認識された今となっては、死者が動き出すのは珍しい話では無い。だが、いくら死んでいるとはいえ、こんな有様で活動することなんて信じられない。
山奥の古城の地下。その隠し霊廟の再奥に葬られていたこいつが、元から魔物娘だったのかどうかなど知りはしない。
今重要な事実は、こいつは魔術か何かで俺の体の自由を奪い、たまらなく俺の精を求めているということだ。
だが、その体のどこに精を注ぎ込めばいい?
”このような体を愛してくれなくとも構いません。精を与えてくださった後に放り捨てていただいてもかまいません。だから、どうか”
『それ』の節くれて黒ずんだナニカが俺に触れようと伸びてくる。
ナメクジのような速度で、篝火に向かう蛾のように、まっすぐに俺に向かって『それ』が近づいてくる。
俺は今から『これ』に犯されるのか、こんな残骸のようなものに。
魔物娘ならば、彼女なのだろう。
だが、判別するための顔は無い。下顎を残して頭蓋は失われている。口腔内があらわになった頭部には喋るための舌もない。俺を見つめるための目も、匂いを感じるための鼻さえない。俺に声を届けるために、魔術を使用しているのは間違いではないだろう。だが、そんな体でどうやって魔術を使用しているというのだ。
物を考えるための脳みそさえ失われているというのに。
残っている下顎には頬肉が申し訳程度に付着している。肉とは言っても乾燥してへばりついているそれは、フライパンにこびりついたベーコンのようだ。
他の部位も肉が残っている部分はほとんどない。まるで何かにかじり取られた食べ残しのように、まばらに付着して残っている。
さすがは魔物と言うべきだろうか、まだ水分を含んでいる箇所もあって、『それ』が死んでいるのにまだ『生きて』いるということを主張している。生と死を共に宿した残骸はシュールなアート作品のようでさえある。
しかし、その有り様は彼女の受けた仕打ちを俺に訴えてきて吐き気がした。
一度に全身を燃やしたわけではないのだろう。やたらめったらに滅茶苦茶にやった。全身は燃やされて黒々としているのに、まばらに残った肉片にかつて生物であった特徴が残っている。
顎からぶら下がっているホースのようなものは気管か食道か。その先に繋がっているはずの肺も胃も存在していない。
肋骨の隙間には血餅だったのだろう。燃えカスになったススが内側からこびりついていた。心臓が鼓動していた時に突き破られたようだ。
炭化して背骨や骨盤にこびりついている黒いものは、腸だったのか、肝臓だったのか。
数本残った手の指も黒く炭化している。骨にまで届く刃物傷はおそらく手の腱を切った跡。足は膝から下は失われて残った大腿部もひしゃげていた。
部屋の埃っぽい匂いに加えて、死者の冷たい匂いが近づいてくる。炭の匂いがする。さいわい虫は湧いていないので蛆が溢れるようなことはない。
これは人の所業か。
彼女に刻まれた悪意と憎しみは、彼女の地獄を発掘した跡のようだ。
俺は近づいてくる『それ』をつぶさに観察して、自身を狂気に叩き落そうと試みた。それでも俺は正気を保たされている。
ここに満ち満ちている魔力の影響なのか。俺に生き地獄を押し付けないでくれ。
俺はただ棺の蓋を開けただけだというのに、それは地獄に通じていたというのか。狂気に逃げることを許さずに、正気ををじくじくと苛んでくる。
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