女辻斬り

柳が風に揺れ、だらりと髪の毛のように垂れ下がった時、鍔切る音が暗澹たる夜闇を切り裂いた。雲間から溢れた月影が、男が掲げた白刃を、しらしらと濡らす。
大上段の構えは天衝くようで、一分の隙もなく、まるで精魂込めた仁王像にも似る。肩幅は熊と見まごうほどにむくむくと膨れ上がり、がっしと大地を踏みしめる威容は、勇壮な巨木を思わせた。蓬髪に伸ばし放題の髭面は、盗賊然として、野卑そのもの。
だと言うのにその精悍たる瞳と、研ぎ澄まされた構えが、ある種の修行者を思わせる凄まじさを、男から立ち昇らせていた。

街の大路の突き当たり。
街道に抜ける橋の真ん前。
凄然と刀を振りかざした男の前には女がいた。
だが彼女は女でもーー。

大上段に構えた浪人、坂下平四郎は相手を端倪すべかざると看破していた。
ーー大した奴だ。
こいつ、隙がない。
内心で舌を巻く。
だが彼とて免許皆伝の腕前、負ける気だけはしない。

女は刀を携えていた。揺(ゆ)らりと、まるで柳のようになよやかな立ち居で、だが頭頂から糸で吊られているかのように、体軸だけはぴぃんと芯が入っている。入れるべきところに力を入れ、抜くべきところを抜いた、油断のない自然体である。抜き放たれた刀を右手に持ち、左手は鞘を引っ掴んでいる。
彼女が女であろうとも、いっぱしの武芸者ともなれば、油断ならないことがわかる。

男が剛の剣ならば、彼女はまさしく柔の剣。
柔よく剛を制すとは、後世発達していく柔術の言葉ではあるが、同様に、剛よく柔を断つと言う言葉も存在する。

視線を交わす男女を中心に、つむじ風が渦巻くように覇気のぶつかり合う。だがつむじ風の内側は、鏡のように静謐な空気で凪いでいた。
真剣勝負。
享楽、虚仮、譫妄、軽薄、不埒、情交。
そうした雑然とした空気は一筋も存在しない。
辻斬り仇討ち痴情のもつれ。
俗世の恩讐欲楽とは一線を画す、武に生きる者の一種凄惨なまでの高潔さが存在していた。

しかしーー

女は目を疑うほどに美しかった。しかもどうしたことか、露出が多い。
凄艶。
豊満な乳房を抑えるさらしは剥き出しで、しかも胸を潰すほどに強くは巻かれていない。動くために最低限固定できればいいらしいそれは、はみ出した上乳と下乳で卑猥に映る。くびれた腰をさらけ出し、袴を履いてはいるが下履きはなく、むっちりと肉付きのよい太腿が、横ぎわからなまめかしい貌を覗かせている。
クッキリとした顔立ちは苛烈なまでの美貌を放ち、良家の子女、公家の娘と言われてもーー否、やはりその鋭い眼光は武家の娘であろう。

そのような娘が何故ここで熊のような男と対峙する?
ーーその理由に、彼女が生きてはいないことが関係するのであろうか。
彼女はーー屍人であった。

凄艶な肢体が青白いのは、なにも月明かりの所為ばかりではない。
そもそもが青いのである。生者にはありえない、死者の青さ。土の昏さ。
なまめかしい腹には十字傷があった。腰から腰まで届くほど、凄惨な横一文字に、へその上から袴の中まで、縦一文字が伸びている。その傷は、外からは見えぬが、その実恥骨にまで届いている。

死者であるはずの彼女が何故動いているのか。
平四郎に慮ることはできないが、しかしその傷を見るに、

ーー見事

と彼は感心してしまう。
あれは自身で割いたに違いあるまい。
彼女が割腹した理由こそ存ずるはずはないが、僅かの躊躇いもないその傷には感服する他ない。
しかし、ならばこそ。

何故彼女は迷い出て、道行く武士に勝負を挑むのか。

平四郎は彼女の瞳を見やる。目線は遠山の目つけとのちの剣道で言われるような、遠くの山を見るように、一所に集中させず、相手を俯瞰して見るような目のつけどころである。だから鷹の目。辺縁視を生かしつつ、彼女の視線を中央に見やる。

眼光は鋭く精悍なものがあるが、生者の精気は欠けている。
虚ろな眸(ひとみ)はまさしく死者のもの。
だが妖しくも凜と射抜く刃の閃きに、

ーー愚問

平四郎は己の疑問を切り捨てる。
女だてら、だがこの女はまぎれもない武士である。
太平楽のこの時代にあって、にわか武士、先祖の立てた武功、家名だけにしがみつく武士は多かれど、この女は本物だ。
軟弱者に辟易していた平四郎は、彼女をそう認めざるを得なかった。
なによりも、彼女から吹いてくる清冽な剣風は、平四郎の心の奥底の闘志を煽り、轟々と燃え立たせているのである。

平四郎は女を武士と思ったことはなかった。
だがこれはーー。

ギリ、と掲げた拳に力を込める。
殺すのは惜しい。
だが手心を加えれば血みどろになって地に沈むのは此方であること必定。
それに何よりも、そのような不純な動機でこの勝負を汚すことこそ割腹ものの無礼。

彼女は剣尖を地面よりも少々浮かせたまま不動。不敵なさまに平四郎の面貌には笑み
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