雪茶屋

あっちー、あっちー、こうも暑くちゃやってらんねぇな。
お天道さんはなんかおいらに恨みでもあるんかね。
山ん中ってぇもんは、もっとこうヒンヤリしてるものなはずなんだ。木の葉の傘を抜けた日差しが、まるで矢のようだ。木陰でも、むっちり温ったまった風を運んできやぁがる。
こんなんじゃあ、峠一つ越えるだけでも、生物(なまもの)なんか保(も)ちゃあしねぇ。
乾物運んでんのはいいんだけど、こうも暑っちいと、おいらの汗で乾物も生に戻っちめぇう。
ああ、竹筒にたんまりいれて来たはずの水だって、もう空っからのオケラさんで、どっかに冷てぇ岩清水でも湧いちゃいねぇかねぇ。
着物はぐっしょり、端折って丸出しの脛がドロドロだ。
この山はなんども通ったことがある山だってのに、ここまで難儀すんのははじめてだ。

と、おいらが行李(こうり)をしょいしょい山を登ってた時ーー。

「あれぇ、こんなとこに茶屋なんてあったっけかなぁ?」

ここを通ったのはついぞ二週間前だ。そん時にゃあなかった気がする。おいらはコクンと首を傾げた。

そいつはちょうど峠に立っていた。
樫や椎の木々に囲まれて、こじんまりとだっけど、小綺麗ななりで、チョンと建っていた。まるで、急に戯作本から立ち上がったような佇まいでもあった。

「でもなぁ、茶は熱ぃからなぁ……」

だっけど熱いなら冷ましゃあいい。水を入れなけれあ、こっちが乾物になっちまう。
どうすっか……。
と、おいらが考えてれば、暖簾をくぐって店の女が出て来た。

おいら、暑さでイカレたんじゃあねぇか、って思った。もしくは狐に化かされたかーー、蜃ってぇハマグリが、幻を見せるってぇんだから、素破(すわ)そいつか、っともな?
おう、どうだい、おいらも博識だろ?
えぇ? ここは峠だ海じゃあねぇ? それに安易に公式じゃない妖怪の名を出すんじゃない?
うっせぇな、そんなことわかってだよ! 後の方はどう言う意味かわかんねぇけど。

「あら、どうぞ、寄っていかれませんか?」

その女の声は、この暑さも吹っ飛ぶんじゃねぇかってくらいに涼し気で、夏なのに可笑しな話だが、サラサラと雪華が擦れるような気がした。あと、こうシナを作った感じがいとも妖しくなまめかしく、どきどき、ってぇよりは、ゾクゾクってぇ感じの女だった。

スラリと伸びた体は楚々とした気品みてぇなもんがあって、どこぞのお姫さまじゃあないかって挙止玲瓏。だって言うのになよげに所作優美。切れ長の瞳の艶やかなこと、黒々と濡れた二つの目ん玉は、八つめの七宝か。真っ白い頬はまるで雪をまぶしたかのようにしらしらと、触らずともその柔らかさがわかりそうなぁくらいだ。
その中で真っ赤な唇がくねくね動くもんだからぁたまんねぇ。
もしかっすと、どこかの太夫が落ち延びてこの店を開いたんじゃあねぇか。
なんせ着物が上等だ。ツヤツヤと真っ白に輝いてる。帯留めだってぇ、なんだありゃ、まさか銀が使ってあるわけじゃあねぇだろうな。しかも簪(かんざし)だって、見たこともねぇような細工もん。

……拙い。こりゃあきっと、どこかのお妾さんに決まってらぁ。
迂闊に乗り込んだらぁ、どっかのお大尽さんに目ぇつけられるとも限らぁねぇ。

おいらは迷った。こんな女のいる茶屋で茶ぁ引っ掛けていきてぇのも確かだ。
だけど命は惜しい。
それにこんな女だったらぁやっぱ、狐か幻か。
そう言われた方が納得できるってぇもんだ。

と、
女は、もし、と笑くぼを作って来た。

「私しかいなくって、寂しいの」
「はい悦んでー」

こんなん、男だったら騙されるっきゃあねぇじゃねぇか。
それに、万が一ってぇもんもある。

そうしておいらは鼻の下でへへと伸ばして、妖しい茶屋にお邪魔させていただいた。

で、だ。
そこでおいらはとんでもねぇもんに出会っちまったんだ。

「氷だ……。茶に氷が浮いてらぁ……。しかもこっちは氷菓子かぁ……」

おいらの前には、まさかおいらがお大尽さまになったような贅沢品が並んでた。しかも使ってる盆は漆塗りだし、氷の乗ってる皿も、どうにもこんな茶屋にあっちゃあいけねぇような、侘びや寂びってぇもんがある。って、おいらそんなんわかんねぇんだけどな? そう思わずにはいられねぇ皿だってぇことだ。
こんな夏に氷なんてぇ、富士の洞穴(どうけつ)とかにゃああるらしいが、こんな、ちょっと小高いくれぇの山ん中に、あるわけがぁねぇ。

素破(すわ)、おいらはやっぱ狐に騙されてんだ、って思った。
なんせ驚いて代金を尋ねれば、その女はコロコロ袖に手を当てて艶やかに笑った。まるで瑠璃玻璃の宝石が転がってくるんじゃあねぇかって有様で、おいらは氷を前にしたのにポーッと茹だっちまった。
代金を聞いて、普通の団子茶屋の値段と変わりがねぇってもんだからぁおっ魂消(たまげ)る。
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