三、

「あらぁ、足りひんのとちゃうん?」

 と言われたのは、お稲がやって来て数日経った夜のことだった。
 彼女はうまく人間の美女に化けているが、その正体は狐の神さまだった。
 それは彼女に云われた条件を果たそうとして、“竹筒”を持っいった厠から戻る途中だった。彼女は陽炎のように立っていた。

「そう……なんでしょうか?」

「ああ、足りひんなぁ。お兄はん、まだまだ搾れるやろ」

「そ、それは……」

 俺は口ごもった。確かにまだ出来たが、お妙が床に臥せっていると云うのに、こんなことをやっていていいのかと云う罪悪感があった。

「気持ち良くはあらへんの?」

「気持ち良いです」

 それも罪悪感を募らせる理由の一つ。

「それに、ウチとの約束、忘れてへんよな」
「はい、それはもちろん……でも……」

「でもやあらへんわぁ、ちゃあんと、精をくれへんと、お妙はんもよくならへんで。これは、お妙はんのためでもあるんや」
 そう云われては弱かった。だから、うんと頷くしかなかった。

 妹のお妙を治せると云ってウチにやって来たお稲だったが、彼女の看病で、お妙は徐々に快方に向かっていた。
 その交換条件として出されていたのが、精を彼女に提供するという云うものだ。俺は彼女に云われた通りに、渡された竹筒に自分の摩羅を抜き差しして、そこに精を吐き出していた。竹筒にはちょうど俺の摩羅にぴったりな穴が開いていて、そこに摩羅をつきいれると、まるでそこにこんにゃくでも入っているかのような、心地良い感触がした。
 その竹筒は不思議なことに、中に出した精はどこかに消えていってしまうようだった。

 彼女は食事に精のつくものを用意してくれているようで、俺が吐き出す精の量も回数も、徐々に増えていた。それも俺に、竹筒に精を吐き出すことをためらわせる理由の一つだった。

 彼女は俺を夫にしたいのだという。

 もしかして、俺はあの竹筒に精を吐き出すたびに、何か人ではない何かに変えられていっているのではないか、と恐れていた。妹のために自分が犠牲になることは良かったが、日に日に元気になっていく彼女を見て、未練と云うものが湧いてくるのだった。

「諦めたはずなんだけどなぁ……」

 俺は竹筒を持ちながら呟いていた。
 いくら血がつながっていないとは云え、お妙は俺の妹だ。あいつも俺を兄と思っている。この関係を壊してしまうわけにはいかなかった。

 俺はお妙が好きだった。

 女として。

 しかし、それは伝えたならば壊れてしまうものなのだとも思っていた。
 このままお稲に云われるがままこの竹筒に精を注ぎ入れていたら、俺はいずれ取り返しがつかないことになる。そうしてお妙とは決して結ばれなくなってしまう。

 元気になっていく彼女を見て、未練、欲望が湧いてきた。しかし、狐の神さまであるお稲の機嫌を損ねることも怖かったし、何よりお妙を治してくれているのはお稲だった。

 悩ましくなった俺は、竹筒に精を吐き出すことがおざなりになっていた。
 お稲はそれに気がついているようだった。

 俺は――どうしたらいいのか。

 悩ましい夜風は、答えてくれない。

  ◆

 ――とある晩のことだった。

 お稲が俺を起こした。その手には竹筒を持っていた。

「お兄はん、なんや加減しとるん?」

 そう切り出された。
 窓からは青白い月影が差していた。
 彼女は人間に化けたままではあったが、月明かりに濡れた黒髪は、まるで青白い燐光を放っているように思えた。その中で金色に輝く瞳が、闇に潜む肉食獣じみていた。

 ゴクリと唾を飲み込む。

「約束、したやんねぇ」

 コクリと頷く。

「もっと、出せるやんねぇ」

「…………」

「正直に云わはり」

 コクリと頷く。

「どうしてせぇへんの?」

「…………」

 黙ったままの俺に、彼女はクスリと微笑んだ。彼女からは、妖気と云えるほどに濃密で、妖しい色気が漂っていた。

「なんやためらうことでもあるん? ないんよねぇ。やったら、ウチが手伝うたるわ」

 な、何を。

 と云おうとしたが、それは言葉になってはくれなかった。俺の身体は固まっていた。俺は、恐怖の糸でがんじがらめにされた心持ちで、彼女を見ていた。

「そないな恐ろしいもん見る眼で見んといてぇ。約束守らへんお兄はんが悪いんやろ。蒲団から出て、立ちはり。そうや、お利口はん。そのまま着物の帯解いて。んふ、なんや、そっちまで立たせるようにはまだ云うてへんかったんに、期待しとったん?」

 艶やかに笑う彼女は、剥き出しになって醜悪に屹立する俺の摩羅に、その肉食獣の視線を注いでいた。

 彼女は手に持った竹筒に、俺の摩羅を差し入れる。

「ほな、いっぱい出しはり」

 お稲の艶めかしい視線に曝されて、俺は
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