私は愕然とした。
ただいま、と云う兄ちゃんに安心したのもつかの間、その隣には知らない、そして別嬪過ぎる女の人がいた。
腰元まで届く艶やかな黒髪に、小さく造りの良い顔。胸も大きく膨らんで、痩せた私とは大違い。その仕草の一つ一つに惚れ惚れするような色気があって、上等な着物であることも妬ましかった。
それは何よりも、兄ちゃんの隣に、ぴったりと寄り添っていたから。その距離感は、男と女の距離に思えた。
兄ちゃんは、こう云う人が好きなのだろうか……。
「兄ちゃん……、それ、誰?」
「んふふ、うちはお稲、お妙ちゃんのお世話をしに来たんよ」
恐らく睨みつけるくらいの目つきになってしまったと思うが、彼女は軽くそう言った。
「私の……お世話?」
兄ちゃんに視線を向けるけれども、彼は目を泳がせるだけ。代わりに女の人が答える。
「そうや、お兄はんには、さっき助けてもろてなぁ、お礼をしたいんやけど、聞けば病気の妹さんがおりはる云うやないか。それなら、と引き受けたんよ。ウチ、薬師の心得もあるんでなぁ」
「それ、本当?」
「やよなぁ」
「お、おう……本当だ……」
嘘だ、と思った。
そうやって視線を泳がせたり、ちょっと鼻の穴が膨らむのは、彼が嘘をつくときのクセだった。ずっと見てきた私にわからないはずはない。
だから、彼女が彼にとって、何か特別な人だということも……。
「…………兄ちゃん、騙されてない?」
「騙してへんよ」
「あなたには聞いてません」
代わりに答えた女の人に、思わず声を大きくして、それで咳込んでしまった。
「大丈夫か、お妙」
兄ちゃんは駆け寄って来てくれたけれども、いっしょに、しずしず歩いてきた彼女は気にくわなかった。
「大丈夫じゃない」
私は蒲団を被って顔を隠す。
「あらあら、ウチ、嫌われてしもたんかぁ。残念やわぁ……」
「普段はこんな風じゃないんですが……」
「ええよ、ええよ。お年頃やもん、仕方ないわぁ、でも、これから、よろしゅうなぁ、お妙はん」
二人の声が布越しに聞こえてきて、泣きそうになった。
彼女は兄にとって何なのだ。彼が家に女の人を招くなんてなかったこと。私がこんな調子になってからはもちろん一度もない。だと云うのに、今さらになって家にやって来た彼女は……。
しかも、その口ぶりは、私の世話をすると云って、この家で暮らすらしい。
冗談じゃなかった。
彼は騙されているに違いない。
でも、彼を騙したところで、この家を見れば、得なことなど何もないことはわかるはずだ。だと云うのにこの家で暮らすということは――。
歯を噛みしめた。
一家の主で、今は一人で働いている兄に、連れてきた女の人を追い出せなどと云えるはずもない。それに、彼女の名目は私のお世話。彼女は私も含めて面倒を見るために、ここに訪れたと云う。
……その先を考えることは止めた。
兄ちゃんの幸せは願っていた。でも、それは――私が彼を幸せにすることだった。
だけどやっぱり、お兄ちゃんは私を妹としてしか見ていないらしかった。
私の頬を次から次へと涙が零れていた。声を押し殺すことに必死だった。そうして自分の気持ちに気がついて、ゾッとする。
私は、兄が死んでしまうことよりも、誰かにとられてしまうことの方が恐ろしかった……。
「ふむふむ、お兄はんは、こんなところに住んどったんやねぇ」
「汚くて狭いところですが、お座りください」
「別にそないなこと、思うとらへんよ。ここは愛の巣なんやからねぇ」
ギリッと歯噛みした。もしも元気だったらなら、彼女に対して抗議の声をあげて、兄を詰ったかもしれない。でも、私はこうしてただ、蒲団の中で声を噛み殺し、涙を流すことしか出来なかった。
――惨めだった。
このまま死んでしまうのだとしたら、神さまも仏さまも、ずいぶん残酷な仕打ちをする。でも、すぐに死んでやるわけにはいかなかった。
涙を拭って、蒲団から顔を見せてやった。
「あ、出てけはった」
その女は隣に座って、穏やかな微笑みで私を見ていた。
見れば見るほど憎たらしくなるほどの美人だった。
私は決意した。彼女が本当に兄ちゃんを騙していないかどうかを確かめてやろうと思った。もしも騙していないのなら、私から兄ちゃんを奪っていく……、私が死んだ後に兄ちゃんを託すことになるこの女を、見極めてやろうと思った。
「…………」私は女を睨みつける。「よろしく」
「よろしゅう」
私の気持ちを知ってか知らずか、ニコリと微笑む彼女に、私は宣戦布告をしたのだった。
正直言って、お稲と名乗った彼女には、非の打ちどころはなかった。
私が元気だったとしても、勝てないと思ってしまった。
彼女はどこから持ってきたか、
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