「ここか……では、手筈通りに」
宗介の呼びかけに、同行者たちからそれぞれの頷きが返ってくる。
「ぬら屋」。それが彼らの前にそびえる旅籠だった。三階建ての木造で、逗留客も奉公人たちも寝静まっているよう。しかし情報が確かなら、この中ではおぞましい宴が開かれているらしい。
すっかり日の暮れた空から、気味の悪い風が降りてくる。生暖かく絡みついてくる感覚は、まるで髪の毛のよう。宗介は知らず、腰の物に手をかけていた。武士の魂、刀である。まさかあやかしを斬ることになろうとは……。宗介はそう思って、ぶるりと身を震わせる。これは恐怖ではない、自らにそう言い聞かせて傍を見れば、7名の同行者がいた。
宗介を含め、彼らは浪人である。擦り切れた着物を着て、その日の量食にも困っているような風貌であるが、眼だけは闇の中でもギラギラと輝き、携える刀だけは立派であった。
宗介はある家の三男坊。武家屋敷は持っているものの、藩の要職に付いているわけでもない家柄では、食いっぱぐれることはなくとも、自身のそこまでの出世は望めない。そこで彼は立身出世を志し、国元を出てきた。だが世は太平。戦場で手柄を上げるように、誰かを斬ればのしあがれるというものではない。そんな事をしては、捕らえられてしまう。
正しく刀で出世するには、藩の御前試合で剣の腕を見せれば良いのだが、そうそう流れの浪人が正式な御前試合に出させてもらえるわけもない。家を出る際に威勢良く啖呵を切ったこともあり、家には戻れない。このままではよくてヤクザもの、悪くて盗賊になるくらいしか道はないのだ。宗介は途方に暮れかけていた。全員がそうと言うわけではないが、同行の浪人たちも、事情は少なからず一緒である。
そんな時、彼らは声をかけられた。
声をかけてきた男は見るからに妖しい風貌の男だったが、連れていかれた屋敷がどこかを知って、宗介たちは肝っ玉が飛び出すほどに驚いたのである。そこは、この町の奉行所だった。
「この町にはあやかしたちが巣食っている。そいつらは夜な夜な人を捕まえては食らっている」
現れた奉行直々にそんな言葉を聞かされては、普段ならそんなものはいないと笑い飛ばす彼らでも、信じざるを得なかった。
奉行所の調べでは、そのあやかしたちの住処がこの「ぬら屋」という旅籠なのだと言う。だが、決め手となる証拠が見つからない。この旅籠は、実は近隣住民からの評判も高く、御用改めで押し入ろうものならば、住民たちの反発は免れないらしい。
そこでまずは浪人である自分たちが盗人を装って押し入り、証拠を見つける。証拠を見つけたのであれば、離れて待機している奉行所の面々に合図を送る。それまでにあやかしが襲いかかってくるようならば、容赦なく斬り捨てて構わない。見事あやかしを討ち果たすことが出来れば、褒美を与え、奉行所への奉公人として取り立てても構わないという話だった。
このままでは食うに困って盗人に落ちようとしていた宗介たちにとって、それに断る理由はない。奉行直々の依頼でもある。彼らは二つ返事で了解した。
彼らの計画としては、三、三、二人組で順に忍び込み、それぞれの階を襲撃するというもので、宗介は最後の二人組であった。
「じゃあ、裏口を開けてやるよォ。ちょいとお待ちよ殿方たち」
「うむ」
鍵開けが得意だという浪人が、慣れた足取りで戸に向かう。その堂々とした歩みは、盗人を装っても、武士であるからにはかくあるべし、と皆がみな、感心してしまうものであった。上衣に袴をはいて、上には羽織を羽織っている。歩くたび、後ろ頭で結って腰まで垂れている長髪が、優雅に揺れる。その隙間から覗くほっそりと白い頸(うなじ)に、宗介は見惚れてしまう。
「ほゥら、開いたよォ」
呼ばれる声に、宗介は我に帰る。今、自分は何を考えていたのだ。男の首元に見惚れてしまうなど……。そう思って頬を軽く張る。あやかしの住まう旅籠に押し入るという緊張感が、おかしな方に働いたのかもしれない。これはもしや、本当にあやかしが住まっているのかもしれない。宗介はそう思う。
あやかしであるからには、きっと妖術を使うだろう。妖術には妖気がつきものだという話を、戯作本で読んだことがある。いくら奉行からの依頼であるとしても、やはりあやかしなどというものの存在には半信半疑ではあった。だが、こうしたおかしな感覚を抱くからには、信憑性が高まろうと言うもの。
「それでは、参る」「参ろうぞ」「参りもうす」
最初の組が、芝居がかった口ぶりで言う。彼らも緊張し、そしてそれ以上に、奉行から依頼されたあやかし退治という題目で心が昂ぶっていた。彼らも宗介同様に、元は屋敷住まいの武士の子息。戯作を読めるほどには裕福であっただろう。
「三名さま、ご案なァーい」
そうやって囁くのは
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