喜助は慌ててお堂に駆け込んだ。朝はあんなにも晴れていたというのに、山の天候は変わりやすい。夜までには家に帰りたかったのだが、これほどの土砂降りでは、無理して道を行くことも出来ない。
「う、ぅう〜〜」寒さのあまり、歯を噛み合わせ、犬のように唸る。
お堂の格子の障子紙は、ところどころが破けていて、びょうびょうと風も雨も容赦なく入り込む。雨漏りもある。これ以上濡れないような場所は確保しているが、これ以上濡れるところがないくらいには濡れ鼠である。
分厚い雲は重たく、晴れる気配は全くない。お堂の中では、湿っぽい埃の匂いが体を包み込み、寒さだけではなく、不安からも震えずにはいられなかった。
「おっとう……おっかぁ……」
濡れたままの着物は、少年である彼の体温を容赦なく奪う。
彼は小さな山を越えた、隣町までの使いに出かけていた。この山は普段から遊び場にもしているし、隣町へは、両親に連れられて何度も行ったことがある。忙しい両親のために、喜助は心配する二人を押し切って、隣町への使いを買って出たのだった。
行きは晴れていて、何も問題がないように思われた。子供の足でも半日あれば往復できるような距離で、両親は寄り道しないように、と念を押しつつ送り出してくれた。
しかし、喜助はそれを忘れ、ちょうど隣町に来ていた大道芸人の芸に見入ってしまった。そのせいで日もだいぶ傾いて、運悪く土砂降りの雨に出くわしたのだ。
暗がりを打つ容赦ない雨と、遅くなってはならないという焦燥感。それは彼に道を間違えさせた。彷徨った末、彼はびしょ濡れでこのお堂に辿り着いたのである。
「…………ぅう、う、う」
ガチガチと歯を打ち鳴らし、喜助は両手で体を抱いて、いつしか涙をこぼしていた。着物の袖から裾から、ポタポタと水滴がひっきりなしに落ちる。彼は犬のように体をぶるりと震わせる。外はごうごう、びゅうびゅう、雨が唸っていた。
「な、何か……、あったまるもの……」
喜助はお堂の奥に目を向ける。このままでは死んでしまうかもしれない。彼は恐怖と寒さにうち震えて、忘れられた火打ち石や蝋燭を探す。だが、このお堂は荒れ果てて、都合よくそんなものが見つかるはずもない。仏像は、盗まれたのかもともと立っていなかったのか、台座だけが、寂しく横たわっている。
「助けてくれる仏様もいないよぅ……」
喜助が打ちひしがれた声を声を出した時だった。
ピシャァン!
「うわぁあああ!」
激しい雷の音に驚き、尻餅をついてしまった。その閃きで露わになったお堂の隅々は、まるで話に聞く牢屋のようで、もう自分はここから出られないのではないか。そんな空の雲よりも重苦しい不安が、喜助にのしかかって来た。
ザァザァと降りしきる雨の音は、まるで自分を責めているかのようで、それでいて、まるで見えない何者かの唸り声のようで……、”そいつ”が今にも襲いかかって来そうな恐ろしさを感じてしまう。ガタガタガタ、と格子戸が揺れる。
「ぅ、……ぅう、う……あ、ぁあ、あ”〜〜」
喜助は泣き出してしまった。
寒いし怖いし、両親の言いつけを破って寄り道をした自分自身も悔しくて、嵐に負けないくらいの大きな声だった。しかし、いくら泣いたところで誰も助けてはくれない。
しやくり上げる彼の耳に、再び、
ピシャァン!
雷鳴が轟き、稲光が走る。びゅうびゅう、ガタガタ。お堂が、壊れてしまうのではないかと言うくらいに軋む。
ーーその時、彼は見てしまったのだ。
「え……」目をまん丸に見開いて、”それ”がそこに立っているのを見てしまった。
仏像はなかったはずなのに……、朽ちた台座の上に……、何やら人型じみたものが座っていた。
観音さま?
いいや違う。そんなわけはない。
観音さまなら、もっと煌びやかな衣装を着ているはずだ。キラキラ光る綺麗な着物で、ピカピカ光りながら現れてくれるはずだ。
目の前にいる”らしい”そいつは違う。雷でも照らせないほどの真っ黒な着物を着て、どっかりと、おっとうでもしないくらいに、横柄に腰を下ろしている。
ピシャァン!
雷光に照らされて、そいつの顔が見えた。
ーー女だった。彼女はおかしくて仕方ないとばかりに、口端を吊り上げていた。
普通の女ではない。
喜助が今までに見たこともないような美しい女だ。真っ黒な着物を着ているというのに、その肌はまるで雪のように白くて、大きく開いた胸元からは、底の知れない胸の谷間が覗き、乳には綺麗な刺青(スミ)の花が咲いている。もう少し喜助が大きかったのならば、綺麗ではなく、艶やか、と言っただろう。
彼女の裾からは、真っ白な太ももがはみ出して、喜助は言いようもない、何か背中がムズムズする気持ちを抱いた。
女の美しさに一寸(ちょっと)ポカンとしていた喜助だったが、いなかっ
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