ある日を境に航海は変わった。
山ほど食料と水、そして奴隷を積み込んで尚、一度でも嵐に会えば終わり。運よく嵐に会わずとも半数が一度の航海で死亡する。熟練し専門の知識を身につけた航海士がいなければ目的地に着くことは出来ず、海の魔物に出会えば全員が武器を手にとって命がけで戦い、何十人もの犠牲を出してそれらを撃退していた時代。いわば『冒険』の時代とも言うべき航海は、魔王の代変わりと共に幕を閉じた。
「あなたー!早く帰ってきてねー♪」
「おうっ!待ってろよ!精のつくもん山ほど買ってきて、良い子を産ませてやるからな!」
「あなた…その…」
「マーメイドぉぉぉ!俺だーっ!結婚してくれー!」
肌のちりつくような太陽の下。海水と日の光をたっぷり浴びて年季の入った甲板の上に何十人もの男が集まっていた。皆、一様に同じ制服を着ていて、腕周りだけでも、女の子が腕を絡ませて尚、いくらか余るほど太く、服の上からでも引き締まった身体が見て取れる。
彼らは『海の男』とも言われる男たちであり、このフライングプッシーフット号を完璧に運用する熟練の船乗りでもあった。まぁ、だらしなくデレデレしながら、それぞれの恋女房ともいえる魔物娘に手を振る姿からはまったくそれが想像できないんだが。
―しかし…いい加減、出航の時間だって言うのに暢気な船員たちだ。
「そういや今日も航海長のイイヒトは来てないですねーっ」
そんな中、一人の船員が俺に向かって振り向いた。そいつは特に何も考えず、確認の為に口に出してくれたのだろうが、そんな彼の言葉が俺の心にぐさっと突き刺さる。
「……あぁ」
―見れば分かるんだよっ!一々、口に出して確認しなくとも良いだろうがっ!
そう怒鳴りたくなるのを何とか堪える。航海長と言う責任のある立場の人間がそうそう激して大声を上げるわけにはいかないのだ。…とは言っても、俺の居るこのフライングプッシーフット号には俺を含めて三人しか航海士が居ないので、責任のある立場、と言っても正直、大したことは無いんだが。
「最近、来ませんね。航海長のイイヒト」
「…お前……さっきから喧嘩売ってるのか?」
コメカミが引きつるのを感じながら思いっきり敵意をぶつけてやると、そいつは青くなってふるふると首を振った。航海長に任命されてからめっきり喧嘩する回数は減ったが、それでも昔は荒くればかりの船員に指示を飛ばすために喧嘩に明け暮れたもんだ。その実力は今でも劣らっておらず、主に船員を締めるのにもっぱら使っている。
「ち、違いますよ!そうじゃなくてっ!その…家の奴と違ってやっぱり大変なんだろうなぁ、って」
「あぁ…まぁ…な」
家の奴、と言った時に見せる嬉しそうな顔に何も言えなくなってしまう。
海の上で大半を過ごす船員には大抵、魔物娘の恋女房がいる。男だけの環境で、ずっと船と言う閉じられた場所に押し込められているのだ。そんな所に可愛らしい容姿の魔物娘がやってこればそりゃ恋も芽生える。『教団』はそれを禁止しているが、船員からすれば男同士よりはいくらか健全だ。そう思うのは俺にも懸想する恋女房がいるからだろうか。まぁ、さっきからずっと俺が不機嫌なのは、その恋女房が最近、顔を出さずに、こうして他の連中がいちゃついているところを見せ付けられているからなのだが。
―しかし、何時までも不機嫌なままじゃいられないのが管理職の辛いところだ。
「おーし。お前らぁ!そろそろ出航だ!碇を上げるぞ!!」
そう声を出して船員に指示を飛ばしていく。そうすると、今までのデレデレした『旦那』の顔とは違い、キリッとした『海の男』の顔に戻るのは流石だ。さっきまでの様子が嘘のようにてきぱきと身体を動かし、あっという間に出航の準備が出来上がってしまう。そのスピードはよその船と比べても遜色なく、自慢できるほどである。…しかし、俺は胸を張れるほどの船員の働きっぷりに頭が痛くなるのを堪え切れなかった。
―普通、こういう指示を飛ばすのは、航海長の助言を受けながら、船長がやる仕事なんだけれどな…。
ただの航海長に過ぎない俺に指示を飛ばされるのが普通になってしまっているその姿には涙を禁じえない。しかし、残念ながら家の船長は放っておくと「カリュブディスたんとちゅっちゅしたいよぉ」としか言わなくなる極度の駄目野朗なのだ。指示を飛ばすことは元より、出来て当たり前の仕事一つでさえ期待は出来ない。今も船の甲板にいないのは船長室の中で、カリュブディスを思って妄想しているからなのだろう。そんな奴がどうして船長をやっているのか、俺は今でも謎なんだが、仕事を立派にこなす船員やその才能を持つ船員を何処からとも無く見つけてくる辺り、人を見る目だけはあるんだろう。
そんなことを考えている
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