その4(ラウル編)

 
 ― 時の流れには変化というものがつきものだ。
 
 勿論、エルフだってそれは例外じゃない。ニンゲンよりも遥かに長寿に生きるエルフであったとしても、細かい部分は必ず変化している。世の中に存在する石や巨木だって、目に見えない変化であるだけでまったく変化しない訳ではない。存在する事とは変化することであるとさえ言い切っても良いだろう。
 
 ― それでも…今の私に起こった変化は納得が出来ない訳で…。
 
 「…はぁ」
 
 そう小さく溜息を吐きながら、私はテーブルの上のコーヒーをそっとソーサーへと戻した。時刻はちょうど朝――ニンゲンが出ていってすぐである。空には日がサンサンと輝いて、カーテンを貫いているとは言え、季節はもう冬だ。家の中に居ても感じる微かな肌寒さに私は革製のベストを着込んでいる。防寒具としてはそれほど優秀ではないが、燕尾服を意識したように後ろが垂れた黒色のシャツと線の浮き出るスキニージーンズだけでいるよりはよっぽどマシだ。
 
 「…本当、どうしてこうなったんだろう…?」
 
 ― そう呟いた私の視線はそっと自分の胸へと降りていった。
 
 そこには相変わらずのっぺらとした胸がある。凹凸のまるで感じられないそれは少し弱々しいが、男としてはそれほど違和感があるものではないだろう。しかし、問題はそれがあくまで抑えられている状態だって事で……――。
 
 「はぁ…」
 
 もう一度、溜息を吐きながら、私は自分を落ち着けるために再びコーヒーを傾ける。勿論、今の時刻は昼下がりだけあって、それは自分で淹れたものだ。あの日――アイツと出かけた日から少しずつでも優しくしてやろうと決めた私が踏み出した第一歩は着実に結果を出している。最初の頃は味も匂いも酷い文字通り泥水のようなコーヒーしか淹れられなかったが、最近ではアイツの淹れるものと遜色ないものが作れるようになった。
 
 ― まぁ、あくまでインスタントなんでちょっとしたコツを抑えれば良いんだが。
 
 それでも覚えるまでにアイツが浮かべた苦々しい表情を思い返せば少しだけ笑みが浮かんでしまう。良いって言ってるのに味見と称して処理をし続けてくれた不器用な優しさに、私が抱いた感謝の気持ちは未だに色褪せてはいない。今でもこうしてコーヒーを飲む度にそれを思い返してしまう。
 
 ― 私は…それが好きなのであって…コーヒーそのものは…。
 
 最初にブラックコーヒーで出された衝撃は未だに払拭できてはいない。相変わらず私はニンゲンの淹れたコーヒーに関しては警戒心を顕にし、一口ずつ啜るように飲むようにしているほどだ。それほどのトラウマを持つ私が自分一人でもこうしてコーヒーを飲む理由は、ただ…コーヒーの匂いがアイツに染み付いていて……――。
 
 ― 言えないよなぁ…コーヒーを飲んでるとお前が近くにいるような気がして安心するからだって。
 
 けれど、鈍感なアイツは私がコーヒーそのものを好きになったと思っているらしい。自分のやった行いを胸に手を当てて考えてみろと言いたくなるが、正直に言うのはもっと恥ずかしいのだ。最近では二人で出かける時にコーヒーの名店に連れていってくれるのは…まぁ、嫌いじゃないし、このまま一生、黙っていようと思う。
 
 「さて…と」
 
 コーヒーのお陰で気分転換には成功した。ならば、また変なことを考える前にやるべきことを終わらせてしまおう。そう思考を切り替えた私はそのまま椅子から立ち上がり、ソーサーをキッチンの流しへと放り込み、水に浸けておく。どの道、後で昼食時にも洗い物は出るのだし、後で纏めて洗ってしまったほうが良い。
 
 ― そう心の中で呟きながら、私は脱衣所へと向かい…。
 
 象牙色の壁紙で覆われた小さな部屋には木製の大きなラックが置かれている。その一番上のカゴに私が昨日、着ていた衣服とニンゲンの下着が入っていた。日照時間が大幅に減るこの季節、洗濯物が夕方までに乾くかは時間との勝負である。故に何をおいてもまずはこの洗濯物を片付けなければならない。
 
 ― けれど…私にとってそれはある意味、試練にも近い時間であった。
 
 「う…」
 
 洗濯板と専用のバケツをカゴの中へと放り込み、洗濯物ごとカゴを持ち上げた瞬間、私の華に独特の匂いが届いた。独特の生臭さと刺激臭を伴うはずのそれは驚くほど嫌じゃない。寧ろ頭の奥から何か危ない物質を分泌させられるその感覚は、思わず癖になってしまいそうだ。
 
 「く…くぅぅ…!」
 
 もっと嗅いでいたい。もっと近くで味わいたい。そんな欲望を何とか振り払いながら、私はカゴを持ってリビングへと移動する。そのままひらりとカーテンを開けば大きな白亜の塀が現れた。はっきりと外と内を区別するようなその先にはぽっかりと空き地が広がっている。その先に
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