― 社会というのは理不尽さで成り立っていると言っても過言ではありません。
社会にとって一個人というのはとても弱い存在なのです。どれだけの豪商であろうと『社会』からは逃れられない以上、少しばかり他よりも大きな歯車の一つでしかありません。どんな豪商も他の歯車に与える影響が大きいというだけで決して他の歯車から受ける影響が0であるとは言えないのです。所謂、『無敵』であるのはこうした歯車から外れて、一人で生きていく事を指すのかもしれません。
― そんな下らないことを考えるのは今日の辞令の所為です。
今まで私は意図的にラウルの様々な行為を見逃してきました。破壊行為や迷惑行為が決して法に触れない範囲でごまかせるように手を回してきたのです。それはこの街の上層部とて理解していた事でしょう。しかし、それに私は今まで何も言われませんでした。そこにはエルフを投獄すると不可侵条約を締結した他のエルフとの関係が悪くなるという政治的な判断もあったのでしょうが、目溢しされていたのは事実なのです。
― それがここにきてそれを盾にされてしまい…。
彼と同居してから既に二ヶ月。その間、上層部は私の行った様々な裏工作の証拠を集め続けてきたのでしょう。今日、いきなり上層部へと呼び出された私はそれらの証拠物品と同時に正式に中隊長に就く辞令を手渡されたのです。言外に脅しの意味も込めたそれに逆らえる者などいないでしょう。自分一人ならまだしもラウルにも害が及びかねないそれに私は屈するしかなかったのです。
― 流石に色々と杜撰でしたからね…。
自分で能動的に起こしたものではないが故に手回しは普段と比べて大分、杜撰でした。何時も通りであればバレなかったと言い切るほどの自信がありませんが、これほどまでの短時間で全ての裏を取られるなんて事にはならなかったでしょう。とは言え、ただでさえ山ほど仕事が舞い込んでいた状態でアレ以上の完璧な隠蔽工作が出来たとは思えません。やるだけやった上に上回れてしまったのですから仕方ないといえば仕方ないのでしょう。
― それに…デメリットだけではありませんしね。
今まで兼任という形ではあれど、私が得ていた給金は小隊長レベルのものでした。しかし、今回の昇給では給金も少しですが上がり、仕事も中隊長の分だけに専念出来るのです。私の感情面さえ納得させる事が出来れば、今回の昇給は渡りの船と言っても過言ではないでしょう。
― まぁ、それが難しいんですけれど…。
自分を納得させる、と言葉で言うのは簡単です。しかし、それを易々と受け入れられるのであれば、私は『彼』の事をこんなに引きずってはいません。実際、辞令を受け取った今も心の中にはぐるぐると言葉に出来ないもやもやが渦巻いているのですから。
「…はぁ」
それを吐き出そうとするように溜め息を吐いても一向に心が晴れません。それに肩を落とした瞬間、我が家の壁が見えてきました。夕日の朱が差し込む白亜の壁は周囲の豪邸と比べても遜色ない輝きを誇っています。そう思うのはそこに住んでいるが故の贔屓目なのかもしれません。しかし、私にとって最近、この家が特別な物になってきているのもまた事実でした。
― それが…彼のお陰だと思うと悔しくもあるんですけれどね。
しかし、口で言うほど悪い気分ではない。そう心の中で呟きながら、私は鍵を取り出し、カチャリとロックを解除します。そのまま取っ手を下へと落とすようにしながら、私は扉を開き、我が家へと入っていくのでした。
「ただいま」
「おかえり。今日は早かったんだな」
― そう言って私の方へとパタパタと歩いてくるラウルは真っ白なエプロンを身に着けていました。
最近、私を待っている時間が暇だと掃除や洗濯だけでなく料理にまで手を出し始めたラウルにその白亜のエプロンは良く似あっていました。元々、ユニセックス的な雰囲気を持っているからでしょう。こうしてエプロンを身に纏うだけでとても女性的に見えるのでした。
― まぁ、その印象を加速させているのはそれ以外の要因も強いのでしょうが。
エプロンの裾から覗くほっそりとした足はハーフパンツに覆われていました。中性的な魅力に溢れる彼にそれはとても似合っていると言わざるを得ません。エプロンから伸びる淡い黄緑のシャツもまた彼の柔らかなラインを強調しているように見えるのです。特に顕著なのがここ三ヶ月伸びっぱなしの髪で、肩ほどまで伸びた髪をアップにする姿は彼の性別を知っている私でさえ女性に見えてしまうのでした。
― その上…スリッパは桃色の兎ですし…。
ふわふわした桃色の生地に兎を模した模様を付け加えられているそれは男性が履くものでは決して無いでしょう。
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