その3

 ― 世の中にはなし崩しという言葉がある。
 
 自分の意志を見せないままに状況に流されたものが送られる不名誉な言葉である。誰だって、そんな自分の意志がないと宣告されるような言葉を向けられたくはないだろう。
 
 ― しかし、今の私の状況はまごうこと無く『それ』だった。
 
 この街に来てからの私はずっと流されっぱなしだった。自分の意志でやった事と言えば、癇癪を起こして私の保護者になってくれた男に迷惑をかけただけ。流されているのは自分の弱さであり、それを護って貰っていただけだというのに、それを理解するだけの余裕が私にはなかったのだ。今はその余裕が出てきたからこそ、多少は分かるものの自分の不甲斐なさに嫌気がさすのも事実だ。
 
 「ふぅ…」
 「ん?どうしたんです?」
 「何でもない」
 
 夕日が差し込む大通りの中、いきなり吐いた溜め息にすぐさま反応してみせる保護者――ハワードに私はそっと視線を送った。視認性も考慮しているのだろう迷彩色の制服を着ている姿はすらりとして到底、街の警備をするようには見えない。何処かで漫談や詐欺でもやっている方がよっぽど『らしい』と言えるだろう。
 
 ― まぁ、実際は結構、鍛えているんだろうけどな。
 
 私は典型的なエルフであり、それなりに弓も嗜んでいる。その私でも微かに見て取れる程度だが、その身体には均整に筋肉がついているのが分かるのだ。歩き方や立ち振る舞い一つにしても、辺りを油断なく警戒しているのがなんとなく感じられる。決して一目で実力者とは見破れないが、ずっと接していればかなりの実力を持っているのが伝わってくる。
 
 ― それもまた戦術の一つ…なのかもしれないが。
 
 のっぺりとした狐顔と閉じている瞳。常に笑っているんだか笑ってないんだか分からない唇。見るからに軟弱そうなその顔を見て、彼が実力者だと見抜けるものは少数だろう。その立ち振る舞いまでもが油断を誘うものであれば、尚更だ。そこをこの見るからに性格の悪そうな男が見逃すはずがない。きっと強襲用の技の一つや二つは持っているのだろう。
 
 「…いきなり人の顔をじっと見るなんてどういうつもりですか?」
 「いや、相変わらず性格の悪そうな顔をしているなと思っただけだ」
 「ほぅ」
 
 ― …あぁ、またやってしまった…。
 
 言い訳がましいが、エルフの里に居た頃はこんなに刺々しい言葉遣いはしなかったのだ。父の顔に泥を塗らないように良い子であれ、と自分を戒め続けていたのだから。しかし、この街に来てからはその自制がまるで嘘のように効いてはくれない。言わなくても良い一言だって、意図せず口から漏れてしまうのだ。
 
 ― 確かに…私は未だに人間と完全に馴染んでいるとは言い難い。
 
 汚らわしいという意識を払拭する事は出来ていない。やはり私にとって人間はまだ淫猥で、欲望に忠実なケダモノという意識が強いのだ。しかし、それでも彼らが下等という意識はもう殆ど残っていない。寧ろエルフよりも優れている点があると認めざるを得ない部分も見ているのだ。少なくとも今の私には、里で言われていたような先入観はないと言っても良いだろう。
 
 「そんな奴の顔を毎日、見るのは拷問でしょう?何時でも出て行っても構わないんですよ?」
 「…うぅ」
 
 ― こうやって反撃されるのだって分かっているはずなのに…っ!
 
 保護者であり、私を居候させているという立場の強さをアピールするハワードの言葉に私は呻き声をあげるしかない。彼の手配してくれた家からも追い出された私にはもうこのニンゲンの膝下にしか生きる場所がないのだ。そう分かっているはずなのに、憎まれ口が出てしまう。
 
 ― これじゃあ…コイツのレッテルを否定出来ないじゃないか…!
 
 反撃されるのが分かりきっているにも関わらず、こうして憎まれ口を叩いてしまう。まるで虐められたいが故に意地を張っていると思われても仕方ないだろう。勿論、私にそのような趣味はないが、そのように認めざるを得ない言葉遣いをしているのは確かだ。
 
 「まったく…そんなに構って欲しいならちゃんと構って欲しいと言いなさい」
 「うるさい…!私だってこんな…」
 
 ― こんな風に意地の悪いやり取りじゃなくて、もっとこう優しく――。
 
 「それより前を見ないと危ないですよ」
 「うわっ」
 
 思考の渦に落ちそうになった私の袖口をハワードがそっと引っ張った。それにつんのめるように引き寄せられた瞬間、私の左脇を魔物が通りすぎていく。彼女もまたよそ見をしていたのだろう。脇の恋人ばかりに視線を向けずにちゃんと前を見ろと切に主張したい。まぁ、私も言えない訳だが。
 
 ― それにしても…。
 
 「お前はもうちょっと優しく抱き寄せるとか、事前に注意するとかそ
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