その2


 
 
 
 
 
 
 ―失敗した。
 
 そう思う私の足はふらふらと揺れていた。いや、揺れているのは足だけではない。頭もまた今にも落ちそうであり、腕にも力が入らなかった。思考はさらに酷く、ふわふわとした心地良さばかりに満ち溢れ、上手く考えを紡ぐ事が出来ない。
 
 「まったく。飲み過ぎだよ」
 「すまん…」
 
 ―そう。飲み過ぎだ。
 
 散歩が終わり、身体が空腹を訴えてきた頃、私たちはいつもの様に『振り返る雨雲亭』に帰り、そのまま夕食を摂ったのである。だが、彼女と偶然に会えた事でついついテンションが上がってしまったのだろうか。ついつい許容量を超える勢いでエールを煽り、こうして深酒してしまった訳である。幸いにして絡み酒でも泣き上戸でもなかったので必要以上に迷惑を掛ける事はなかったが、マトモに歩けない私は彼女に運んでもらうしかなかった。
 
 ―…まったく…情けないな…。
 
 木製の階段をゆっくりと登りながら、ふとそんな自嘲が胸に溢れた。勿論、それはこうしてシリルに支えて貰っている事だけではない。自分を誤魔化す為についつい深酒をしてしまった事もそうだし…――
 
 ―…いや、止めよう。
 
 やはりアルコールの所為で幾らか理性が鈍っているのであろう。普段は意図的に考えないようにしている思考が口から漏れてしまいそうになる。だが、こうして彼女と遊ぶ事が出来るのはもう後僅かしかない。その間くらい…それを口にしないまま過ごしたかった。
 
 「それで君の部屋って何処だったっけ?」
 「204…だな」
 
 歩いている時んは決して触れ合わない私たちの身体。それが今、不可抗力とは言え、触れ合っている。普段は見る事しか叶わないシリルの身体の柔らかさが酒で火照った身体に伝わってくるのだ。ただでさえ熱くなった身体がより興奮し、鼓動を早くしていくのが分かる。
 
 「なるほど。ここだね…それじゃあっと…」
 
 しかし、そんな風に意識している私とは裏腹にシリルには何の気恥ずかしさもなかった。それも当然だろう。彼女にとって私はただの友人であり――いや、そもそも友人である事さえ怪しいのだが――それ以上でもそれ以下でもないのだ。冗談でプロポーズだの愛の告白だのはするが、所詮、それは掛け合いの延直線上に過ぎず、シリルがそういう意味で私を大事に思ってくれている訳ではない事くらいは分かっているのだから。
 
 「よし。鍵も開いたよ」
 「ん…」
 
 そんな事を考えている間にシリルは預けていた鍵で部屋を開けてくれたらしい。夜の闇を孕んだ部屋の中へと私を連れ込んでくれる。そのまま彼女はするすると足を進めて、入り口から差し込む光でかすかに見えるベッドに私を横たえてくれた。
 
 「う…」
 「大丈夫?」
 
 自分の視界がぐるりと動き、体勢が変わるのはあまりいい気分ではない。だが、それは完全に私の自業自得だ。深酒をすればこうなる事が分かっていたのにも関わらず、こうなるまで酒を止めなかったのだから。それを思えば、腹の中がぐるぐるとかき回されるような不快感も堪えるしかない。
 
 「…大丈夫だ」
 「そんな顔には見えないよ。…とりあえず火を灯すからね」
 
 そう言って彼女はべっどの脇を離れ、部屋の入り口へと戻る。そのまま装飾の施されたランタンに備え付けのマッチで火を灯し、扉を閉めてから私の方へと歩いてくる。暗い部屋の中、不規則に動く光でぼんやりと照らされる彼女の姿は妙に幻想的で…――
 
 「…綺麗だ」
 「嬉しいけれどね。そう言うのは酔ってない時に言って欲しいな」
 
 思わず口から出てきてしまった言葉も彼女に軽くいなされてしまった。きっと私のそれを何時もの冗談の一種だとでも思ったのだろう。だけど、私のそれは本心から飛び出た紛れも無い本音である。
 
 ―…まぁ、真剣に受け止められるよりは幾分、マシなのかもしれないが…。
 
 下手に真剣に受け止められてしまえば、この関係が終わってしまうかも知れない。いや、きっと終わってしまう事だろう。シリルが私をそんな風に見ていないという事はこれまで嫌というほど分かっているのだから。寧ろ冗談で済ませてくれた方が下手に傷つかないかもしれない。
 
 「とりあえず水差しを貰ってくるからね。少しだけ待ってて」
 「…あぁ」
 
 枕元の小さな台にランタンを置きながら、彼女は私の頭をそっと撫でてくれた。何処か冷たい印象の受けるシリルの手が酒で火照った身体には心地良い。思わず目を細めてその感覚に入り浸ろうとした瞬間、その手と共に彼女がベッドから離れるのが分かった。
 
 ―バタン
 
 そんな彼女が扉を閉めた音を皮切りに部屋に静寂が満ちる。それなりに大きな宿だけあって防音設備はしっかりしているのだろう。こうして扉を閉めて貰えば、
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