「それでは…私は一足先に本家の方で待っていますわ。…姉様、お邪魔して申し訳ありません」
そう言いながら、少し頭を下げて、三ツ葉の姿は消えました。恐らく術を使って高速で移動したのでしょう。念の為に屋敷中に妖力を張り巡らせ、何処かに隠れていないか確認してみましたが、影も形もありません。…正直、素直に三ツ葉を送り出せる自信が無かったので、こうして消えてくれて私は何処か安心した気持ちになってしまいました。
―そして…そんな私の気持ちを分かっているからこその去り際の言葉だったのでしょう。
三ツ葉は私などよりも遥かに聡い子です。人の気持ちに敏感で、昔から優しい子でした。その分、怒ると怖いのは昔から変わりませんが…それはさておき。そんな三ツ葉が私の気持ちに気づかないはずがありません。恐らくは、ご主人様に成長を促した事を私が嫉妬している事にも気づいているでしょう。だからこそ、三ツ葉は術を使ってまで遠ざかり、そして謝罪の言葉を残したのだと…私はそう思います。
「…一ツ葉。…そう言う事だ」
「…えぇ。分かっています」
ご主人様のその言葉に私はそっとご主人様から身体を離しました。逞しくて…全てを委ねたくなるご主人様の胸から離れるのはとても辛い事ですが、これから本家へと向かわなければいけないご主人様の邪魔をする訳にはいかないのです。…しかし、そんな気持ちがあっても冬の寒さは耐え難いものでした。ご主人様に抱きしめられる前まではなんでもなかったその寒さが、離れた今では極寒の大地に放り出されたように感じるのです。今すぐご主人様の胸に抱きしめてもらいたいと言う欲求さえ湧き上がりますが、それは矜恃と理性が捻じ伏せました。
―それに私自身も準備をしなければ参りません。
ご主人様が本家に向かうのであれば私も共に向かうのが筋でしょう。だって、私はご主人様の使役狐なのですから。ご主人様の命以外でお傍を離れるわけにはいきません。お話がどれだけ長くなるかは分かりませんが、その間、屋敷には人払いの結界を張っておけば良いだけですし、毎日、丹念に手入れしている屋敷は数日空けた程度では問題は無いのですから。無論、帰ってきたときには大掛かりな掃除が必要になってしまいますが、年末年始も本家で過ごして、三が日が過ぎてから帰ってきていますし、私にとっては何時もの事でもあるのです。
―何より…浜風さんよりも私の方が早いです。
五年前、ご主人様と共にやって来たその雌馬は未だに来た時と同じ力強さを持っていますが、術を使った使役狐には勝てません。ご主人様を背に負ぶって走る形になるので、人前には出られず、林の中を駆ける事になりますが私であれば数時間程度で本家までたどり着けるのです。無論、年末年始など複数日を過ごさなければいけないと分かっているのであればそこそこの荷物も必要ですし、浜風さんに乗って移動しますが今回は荷物は特に必要ありません。逆に言えば、一分一秒を争う形でもないのですが、多忙なご主人様が移動にかける時間と言うのは少ないほうが良いでしょう。そして、私はその為の準備を――さっきの接吻で…その愛液に塗れた着物の着替えやご主人様の着物の準備など色々あるのです――しようと口を開きました。
「それでは私も準備を…」
「いや、一ツ葉はここに居てくれ」
「……え……?」
―だからこそ、ご主人様のその言葉は私にとって意外なものでした。
だって、そんな…有り得るはずがないのです。冷静に考えても私が傍に居たほうがいいでしょう。だって…これから乗り込むのはご主人様がさっき反意をはっきりと示した頭首の居城なのですから。ただ、命令を拒否するだけなので命の危険は少ないと思いますが、鉄血と言う二つ名さえ着けられた源重郎様が何をしてくるかは分かりません。何かしらの危害を加えられない為にも、私が傍に居た方が都合が良い筈です。
―それなのに…どうして……?
冬の寒さがまるで隙間風のように私の心の中へと入り込んできます。身を切るような冷たいそれは心の中で荒れ狂い恐怖の感情へと変わります。だって…私はこの五年間…一日たりともご主人様のお傍を離れたことがなかったのですから。市井に出かけられている時だって、お傍に着いていられる時はそうしていました。それをご主人様も恥ずかしそうにしながらも、何も言わず受け入れてくれていたのです。それなのに…いきなり突き放すようにその言葉を与えられ…私の中にずっとあった「何時か捨てられるのではないか」と言う感情が再燃したのでした。
「あの男の事だ。自分の命を聞かせるために何をさせるかは分からない。それに…一ツ葉を巻き込みたくは無いんだ」
「でしたら、尚更の事!」
「それに…あまり一ツ葉には聞かせたくな
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