その1

 
 ―炎と言うのは人間の生活に不可欠なものだ。
 
 炎が無ければ、人は満足に何かを造り出す事が出来ない。鉄も土も、そのままでは利用しづらいものだ。それを使いやすいように加工するために人は炎の力を借り受けてきたのである。今の高度化した経済や社会でもそれは変わらない。炎が無ければ彼らの社会は途端に成り立たなくなってしまうだろう。
 
 ―…だが、同時に他に何も出来ないものでもあるのだ。
 
 確かに炎は激しい。他の四つの元素の中でも飛びぬけて大きな力を持っていると言えるかもしれない。破壊力と言う面では他の元素とは比べ物にならない力を発揮するだろう。だが…それだけだ。炎そのものは何かを燃やし、破壊するだけの力しか持たない。それを加工に使うのは人の英知であり、人の技であるのだ。炎そのものが何かを生み出す訳ではない。
 
 ―…まぁ、つまる所…その炎の精霊である私に出来る事は殆ど無いと言うことだ。
 
 「…どうした?」
 「…なんでもないよ」
 
 ―振り返ってこちらを振り向いたのは浅黒い肌をしたエキゾチックな雰囲気を持つ男であった。
 
 日射避けの灰色のターバンを巻いた頭からは砂漠の民独特の金の髪が流れ落ちている。月の光に照らされた砂丘のように美しいその色は見るものの目を引くものだろう。そして、その下にあるのは月のように透き通った金色の瞳だ。砂漠でも滅多に見られない透き通ったその色は何処か満月を彷彿とさせるものである。見ているだけで引き込まれ、魂を吸い上げられていくようなそれに今までどれだけの女が犠牲になった事か。
 
 ―…まぁ…確かに美形なんだけれどさ。
 
 砂漠民らしい浅黒い肌に金の瞳と金の髪。それらを調和させる顔立ちはとても男らしく、彼の持つエキゾチックな雰囲気をさらに大きなモノにしている。キリッと上がった目筋も整っていて、鼻筋もピンと突き出て美しい。肌の色に負けないほど真っ赤な唇の色は艶やかで彼に大きなアクセントを与えていた。それらが高いレベルで調和し合い、絶世の美男子と言う程ではないが、中々、類を見ない程度には美形な顔立ちを作り出している。
 
 ―その上…体付きもねぇ…。
 
 ターバンと同じ灰色のローブを纏っているが、その上からでも体付きがはっきりと分かるものであった。しっかりと鍛えられ、引き締まった筋肉の群れ。実用に特化した筋肉は彼の身体を決して大きく見せるものではない。しかし、細身の体付きの中に確かな力が篭められているのを感じさせる。それが独特の魅力となって、また人間の女を惹くのだろう。
 
 「…はぁ」
 「…??」
 
 ―それが私にはどうしても気に入らない。
 
 前述の通り私は炎の精霊だ。この世界における炎の力を司り、その一部を行使する事の出来る存在である。そして彼――私の心をざわつかせる美男子様は私と契約した精霊使いだ。その絆は断ち切り難く、婚姻よりも強い物で結ばれているという確信がある。だが…それだけだ。肉体を持たない私にはどれだけ強い絆で結ばれようともそれが限度なのである。
 
 ―…そう。私は結局、人じゃない。
 
 彼――ディルクのように四肢も無く、頭も無い。ただ、宙に浮かぶおぼろげな炎の塊。それが私である。彼に愛を囁かれる資格も何もない。それどころディルクに触れることも触れてもらうことも出来ないちっぽけな存在。それが私であるのだ。
 
 「…さっきから溜め息ばかり吐いてどうしたんだ?」
 「うぅ…」
 
 ―結局の所、この感情は嫉妬なのだろう。
 
 私には彼と強い絆で結ばれているという自負がある。それはディルクがどれだけ女遊びをしようと断ち切れるものではない。彼がこの世を去るまで永遠に続く事を確約された唯一無二の物だ。だが、それでも私の心はざわついて止まらない。彼が私ではない女に一晩限りの愛を囁く度に、彼が私ではない女を悦ばせる度に、無い筈の胸が痛んで止まらないのだ。私もそんな風に愛して欲しいと、そんな風に愛を囁いて欲しいと、そんな欲望が湧き出てしまう。
 
 ―でも…それはきっとディルクの重荷になってしまう。
 
 ディルクは砂漠の民らしく束縛させるのをとても嫌う。どれだけ愛を囁いた相手であっても一晩経てば、その元からあっさりと旅立ってしまうのだ。それでどれだけ女が泣いてもディルクの足は止まらない。元々、一晩限りの相手であると割り切っているのだ。そんな姿を間近で何度も見てきた私には、今の感情を正直に彼に打ち明けるのは到底、出来るものではない。
 
 ―勿論…私は一晩限りの女とは違ってそう簡単に離れられるものじゃないけれど…さ。
 
 精霊と精霊使いとの契約はとても強固なものだ。破ろうと思っても破り捨てる事など出来ない。いっそ呪いにも近いそれは文字通り一生、私たちに着いて回るだろう。
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