―誰にだって苦手な人間は居るだろう。
それは母親や父親を始めとする家族であったり、幼馴染であったり様々な場合が考えられる。しかし、その多くが大抵、幼い頃の経験や記憶から苦手意識が来ているのが殆どではないだろうか。
―少なくとも…私にとってはそうだ。
「顔を上げろ。…呼ばれた理由は分かるか?」
まるで抑え付けるような威圧感のある声に顔を上げると、私の目に初老の男が飛び込んできた。見た目の年の頃は四十の半ばほどだろう。誰もが思わず背筋を正したくなるような強面には威厳や経験が刻み込まれているかのような皺が幾つか見受けられる。しかし、まだまだ老いには負けてはおらず、その威圧するような切れ長の瞳を始め、全身には精気のようなものが溢れ返っているようだ。墨をかぶったかのような艶の無い黒髪には白髪が一本も見えない。恐らく男として最も脂が乗っている年頃であろう。しかし、この男は私が物心着くころから今の姿であるので、肉体年齢と実年齢とは大分、乖離していると言って良いだろう。
「いえ…まるで見当も…」
―そう言った私の言葉は少し震えていた。
私にとっては、この目の前の男は苦手と言う言葉では言い表せない程だ。こうして目の前に正座しているだけで、ピンと伸ばした背筋に冷や汗が浮かぶ。必死に押し隠そうとはしているものの、指先が震え、どうにも落ち着かない。足先も柔らかな座布団に体重を預けているはずなのに今にも逃げ出そうとしているかのようにピクピクする。
―落ち着け…大丈夫だ…!
必死にそう言い聞かせようとしていても、私の身体に刷り込まれた記憶がそれを阻む。丁寧に整えられた木々とそれを映す小さな池が襖の間から見えても、まるで心を落ち着けられない。目の前の男が好む質実剛健を現すような簡素なこの客間でさえ、戦場にいるかのように感じる。
「来月…お前も十五になるな」
―そして暖かみも何も無いこの男の言葉はまるで刃だ。
冷たい上に、下手に触れると斬れてしまいそうなほど鋭い。感情を一切込めず、ただ事実を羅列するだけの言葉は、身体に突き刺さるような錯覚を覚える。無論、それはあくまで錯覚だ。しかし、幼少の頃からこの男に苦手意識を植え付けられた私にとって、その痛みは何にも勝る現実である。
―だが…それに怯んでいる暇は無い。
一度、怒りに触れれば、烈火の如く怒り出すこの男を不快にさせる訳にはいかないのだ。罵詈雑言ですらないただの言葉でもこれだけの痛みになるのだから。
「はい…」
―私たち新加茂の一族にとって十五と言う年齢は特別なものである。
表向きは田舎の一豪族でしかない新加茂だが、その正体は帝の墳墓を護る墓守の一族だ。その支配地域には帝の墳墓が数多く隠されており、私たちはそれを様々な意味で管理する事を使命としている。そして、無論、その管理の中には盗掘者に対する制裁も含まれているのだ。
―その為、新加茂は昔から陰陽の術を得手としてきた。
盗掘者に一番、利くのは惨たらしい拷問ではない。呪いと言う目には見えない罰だ。人が行う拷問は捕まらなければどうとでもなるが、呪いはそうはいかない。盗掘した時点で惨たらしい結末が決まっているのに、誰が手を出そうか。無論、それを迷信と信じて墓を暴こうとする愚か者は何時の時代でも一定数居るものだが、それを罰するのが私たちの術である。
―そして、その術に欠かせないのが狐だ。
昔からこの地域を帝に任されてきた新加茂の一族にとって、妖力を持つ狐は代わりの効かない相棒であった。表向きは豪族である新加茂の手足となって働き、盗掘者を見つけ出す。初代頭首が飢饉の際に餓死しかけていた狐を助けた縁から、そんな風に新加茂に仕え、支え続けてきてくれた。その縁は今でも変わらず、『彼女ら』は本家の男子が十五になる日に契約し、その忠実な手足となって仕えてくれる。
―ただし、優秀な男子のみに。
新加茂がまだ小さい一族であったころは良かった。しかし、今は田舎に拠点を置くとは言え、立派な一豪族だ。何処から秘密が漏れるかも分からない。また、何時、身内に墳墓を暴こうとする人間が現れるやもしれない。その為、こうした秘密を知るのは同じ新加茂の中でも一握り…それも頭首に近く、さらに能力を認められた人間だけだ。
―そして…私は優秀ではなかった。
私がこの話を知っているのも、『優秀な』兄とこの男が話しているのを立ち聞きしたからだ。決して私が優秀だからではない。寧ろ、目の前のこの男に『役立たず』との烙印を押され、今の今まで突き放されてきた。
―だからこそ…どうして、呼ばれたのがまるで分からない。
優秀な兄ならばいざ知らず、今の今まで見向きも
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